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ヤギは家畜のマイノリティ
沖縄県那覇市の公設市場に行くと、豚の顔やら熱帯魚のような色とりどりの魚の山に圧倒されます。でも、地味で目立ちませんが、ヤギ肉店こそが沖縄らしい風景ではないでしょうか。市場の二階でヤギ汁を注文してお腹いっぱいすするのもまた格別。オーストラリア産ビーフは全国どこのスーパーでも売られていますが、ヤギ肉需要の多い沖縄県のヤギ肉もオーストラリアから輸入されていることを知ってますか。

ヤギは人類の餓えと貧困を支えながら、旧約聖書の昔からスケープゴート(いけにえのヤギ)とされ、新約聖書の中でも悪者扱いされてきました。そして、今また、小笠原諸島の兄島などでは、野性化したヤギが在来の植物や森林を破壊すると問題視されています。

その一方で、人々の生活に溶け込んでいるヤギさんがそこここにおり(屋久島発・田舎暮らし通信)、島根県をはじめ、各地の休耕田や畑、田んぼの畝の雑草を無農薬で駆除する有益性が新聞でも報道されています。

また、ヤギチーズが密かなブームになりつつあり、子どもの心の癒しとして、幼稚園でヤギを飼い始めています。

正直言って、ヤギ肉よりウシ肉、ヤギ乳よりウシ乳の方がおいしい。しかし、ウシは、人間によって栽培された莫大な飼料を消費しつつ、専門家の手によって過度に肥育されています。

一方、ヤギはウシやブタも食べられないススキや雑草なども好んで食べ(ヤギの主食は紙ではありません)、ヤギやブタも住めない過酷な自然環境に耐えて生きていくことができます。何より、小型なので、子どもやお年寄りでも世話をしやすい。イスラム教徒でもヒンズー教徒でも食べられるヤギ。

これから地球人が迎える人口爆発と地球温暖化の中で、ウシに頼った生活はできなくなります。だからこそ、今から荒野で生き抜くことのできるヤギと、仲良くなっておくことが大切なのです。

また、ヤギさんとあわせてダチョウさんのことも考えて頂くと、より問題がはっきりしてくるのではないかと思います。
ヤギさんコ−ナーの玄関へ
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アホウドリは海の孤島のマイノリティ
2000年、三宅島は大噴火によって一時的にではあっても無人島になってしまいました。今から20年ほど前にも三宅島は噴火し、いくつもの集落が大きな被害を受けました。そのあと、米軍基地を三宅島に移転させるという話が持ち上がり、その反対運動に少しだけ参加したことがあります。その時お世話になった「ペンションおしどり」のみなさんはどうされているのか心配です。被災された方々の苦労は、察するに余りあります。一日でも早く復帰できるよう、できることがあればみんなで手伝いたいものです。

さて、その伊豆諸島には世界的にも貴重な鳥島があります。東京から580q、八丈島よりはるか南の小さな火山島。地球上で、ここともう一つしかないアホウドリの繁殖地です。1949年には、アホウドリは「絶滅」したと考えられていましたが、1951年に10羽のアホウドリが発見されたのです。

それから50年。熱心な研究者やたくさんの理解者の手によって、1000羽まで増えました。しかし、もともと絶滅の危機を作ったのは、羽毛を採るために1千万羽ちかくのアホウドリを殺した人間です。アホなのはトリではなくてヒトなのです。

実は、残念ながらアホウドリの実物を見たことがありません。しかし、滑空するアホウドリの姿は、映像で見ていても、地球上で最高に美しく完成された飛行生物であることを感じさせてくれます。それと対照的に、離陸するために斜面を駆け降りる不格好な姿は、パラグライダーを少し楽しんだことがある私にはとても親近感が持てます。

人間の役に立つか立たないかではなく、地球上の多種多様な生物の存在を認め、支えていく。アホウドリが生きていける世の中は、多種多様な人間も生きていきやすい世の中なのではないでしょうか。

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サイレントマジョリティはマイノリティの集合体
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正直って、今のままの生活をどれだけ続けていけるのか不安です。というより、続けていってよいのか疑問です。違った土地で、違った仕事をし、違った人々と共に暮らしを作る。

老後の隠居生活ではなく。まだ体が動く内に、自分を生かせる場所を作りたい。あなたも、そんな思いを持っていませんか?こだわりつつも、とらわれない。そんな暮らしや生き方を、知るだけで元気が出るかもしれません。
考えるヒントのお蔵 「南の島で暮らす夢」へ

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日々の暮らしの中で、辛さや悲しみを抱えながらも、人に対する優しさを言葉や行動で表現し続けている人がいます。多くの人に見て見ぬふりをされたり、白い目で見られたり、寄ってたかってひどい仕打ちをされている人の傍らに立ち、声を挙げて闘っている人がいます。

心の中にずっと前から刺さっていた小さな棘を、今日こそは抜いて、正々堂々明るくスッキリ社会と向き合って生きていきたいと思いませんか?自分の弱さを身に染みながらも握手し合えば、きっともう一つの生き方が見えてくると思います。

ProjectGは、偉そうな説教よりも、傍らに立ち、共に生きる道を探っていきたい。それが、一人一人のヒトが、ヒトらしく生きていくための条件だと考えるからです。
考えるヒントのお蔵 「あなたの隣の人と」へ

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