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信仰 ・ 祈り ・ 聖書
信仰とは、丁度、人間関係において、信頼・信用が大切であるように、神に全幅の信頼をおくこと。神が存在することを信じるだけでなく、その神を愛し、神の意向に従って生きる姿勢を保つ決意を持って生きる。もしそれから外れても神が慈しんでいてくださることに希望を失わないこと。情愛に満ちた親子関係のような無限の信頼関係が信仰である。神の子イエス・キリストは天の父なる神との一致のうちに、人類への慈しみを示すために命を捧げてくださった。
(参考推薦URL:教義と組織(カトリック中央協議会編) https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/dogma/
「みこころネット=http://www.d-b.ne.jp/mikami/index.htm
 
祈りは宇宙万物を創造され、一人一人に生命を与え、愛しておられる三位一体の神との対話。対話の内容としては、賛美・感謝・願いがある。一人で、または家族や集まった人が一同で祈る。声を出して、または沈黙のうちに祈る。そのような祈り固有の時間を取ることも大切であるが、生活全てを祈りとする気持ちを持つことも求めらる。また、聖母マリアをはじめ、聖人と天使に取り次ぎを願うことも祈りである。公式の祈りは典礼と称される。
みこころネット(http://www.d-b.ne.jp/mikami/index.htm)、
聖テレジアの小さな道(http://www5a.biglobe.ne.jp/~therese/)、
 
聖書はその筆者・編纂者、および整えられた文献の中の特定の書物を「聖書」と認定した権威に対して神の霊が注がれたのみならず、その読者に対しても神の霊が注がれるという意味で、「聖なる書物」と呼ばれる。聖書は旧約聖書と新約聖書から成っている。聖書の成立・解釈について、あらゆる観点から、そして最新の科学的手法も駆使しながら、今も研究が続いている。日本語訳の聖書は数種類が刊行されているが、プロテスタントとカトリックの専門家が合同で翻訳作業をし、日本聖書協会(http://www.bible..or.jp)から発行されている「新共同訳」というのが普及しつつある。サイズや装丁においていろいろなものがあり、店頭においている一般書店も多い。「続編つき」とそうでないのがあるので、「続編つき」の方をお奨めしたい。また、「引照つき」とそうでないのがあるが、「引照つき」の方が各個所を参照するのに便利である。
教義・教理
イエス・キリストは神の国が到来したことを述べ、それに相応しい回心をするように当時の一般民衆にわかりやすい口調で語った。イエスは自らの著作は残さなかったようで、イエスおよび彼の言動や教えについて記述・編纂・解説されたもっとも権威ある文書は新約聖書であろう。しかし、新約聖書はイエスの説きたかったことを全て網羅しているわけでもなく、各時代の人間が直面するであろう全ての信仰規範や社会体制のありかたを説いているわけでもない。(とりあえずは、当時の特定の読者層を想定して書かれものであろう。)イエスは神の国の到来を告げ、それにふさわしい生き方をするように、つまり全身全霊をこめて主なる神を愛し、隣人を自分を愛するのと同じように愛することを説き、自らも自分の命を天の父に捧げた。イエスの言動に関する哲学的思想的な解説や表現、具体的に何をすればよいのか、あるいは何をしてはいけないのかという信仰規範に関しては、時代・思想・自然観・文化・歴史などの背景によって、ある事柄は新しい観点から見るようになり、ある事柄は深められ、明確化されていく。イエスは自分がこの世界から去った後の展開に関しては聖霊が導くことを約束した。聖霊はあらゆる方法を通して人間に働きかけてきたが、特に、教会の権威(具体的には、イエスが選んだ使徒の後継者)を通して真理を明らかにし、導くように働きかけてきた。これは使徒の後継者が個人的なすべての言動や教説が絶対に正しいということではなく、その権威の名のもとに言明した内容について該当する。つまり、教会の指導者も独善的であったり、様々な人間的な弱さを持っている。だから、例えば、現ローマ教皇のヨハネ・パウロ二世は、ガリレオ裁判や進化論に対する当時の教会の対応を反省し、2000年3月13日の彼が捧げたミサにおいて、過去のカトリック教会がある民族、ある宗教に不寛容であったことに神の赦しを乞うた。それに先立つ2000年3月7日、教皇庁国際神学委員会は「記憶と和解―教会と過去の種々の過失」という文書を発表し、その全文の日本語訳は2001年1月21日付けの「カトリック新聞」に遅ればせながら掲載されている。 
 イエスの説いた教えを解説したものを教義(教理)といい、哲学的・思想的観点も含めてそれを扱う学問を神学という。また、キリスト教(カトリック)の教義を要点的に解説したものを「カトリック要理」(以前の用語では、公教要理)という。
  ヨハネ・パウロ二世(みこころネットの「教皇様のページ」参照
「Laudate」http://www.pauline.or.jp/の「キリスト教」参照
 カトリック要理(みこころネットの「カトリック教会の教え・信心」参照
 子どもの教理教育に関して 子どもの信仰教育ネットワーク参照
 
{付記} フランス文学者の栗村道夫氏は、フランスの外交官であり、カトリック詩人・劇作家であったポール・クローデル(1868〜1955)の作品の中における「聖徒の交わり」をテーマとした力作を著されている。(栗村道夫著「ポール・クローデルの作品における聖徒の交わり」初版2000年、サンパウロ刊、http://www.sanpaolo.or.jp)

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