東京出身。放射線医学者の塚本憲甫・テイ(共に同墓)の長女。祖父は農学者の塚本道遠(同墓)。祖母は家庭教育者の塚本ハマ(同墓)。伯父に教育者の塚本玄門、漢方学者の塚本赳夫(共に同墓)がいる。
1955(S30)東京芸術大学卒業。'57武蔵野音楽大学講師に就くが、同年9月ウィーン留学のため退職。ウィーン音楽大学に入り、リヒャルト・ハウザーに師事。在学中の'59イタリアの第11回ブゾーニ国際ピアノコンクールで日本人初の5位入賞に輝く。'60ウィーン音楽大学を卒業。卒業後もウィーンに滞在し、'62〜'66ブルーノ・ザイデルホーファーを師事、ピアニストとして活動した。この間、'62オーストリア政府給費留学生としてウィーンにて国際法を勉強をしていた塚本哲也と出会い、結婚。哲也を塚本家の婿養子として迎える。後、哲也は毎日新聞記者特派員として現地に滞在した。
'67ルリ子は一端帰国し、東京純心短期大学助教授となるが、翌'68渡独のために退職した。'68旧西ドイツのボンに滞在。哲也もボンの特派員となり、ルリ子はステファン・アスケナーを師事('68〜'73)し、ピアニストとして活動。帰国後、'75よりフェリス女学院短期大学講師となった。以後はピアノ指導者として活躍した。
東洋英和女学院大の学長だった哲也が、2002(H14)脳出血で倒れ右半身麻痺となったが、献身的に支えた。哲也の故郷である群馬県に移る。腹腔動脈閉塞のため高崎市の病院で死去。享年75歳。葬儀・告別式は社会福祉法人新生会桜の園で営まわれ、翌月、東京都内の聖イグナチオ教会にて追悼ミサが行なわれた。喪主は夫の哲也。