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たかくら あつまろ(やぶ あつまろ)

高倉篤麿(藪 篤麿)

たかくら あつまろ(やぶ あつまろ)

1880.2(明治13)〜 1964.2.1(昭和39)

大正・昭和期の子爵、政治家、伊勢神宮大宮司

埋葬場所: 21区 1種 10側

 高倉家(藪家)は公家・閑院家・四辻支流・150石(家禄は初め180石だったが、後に150石に減らされた)。家業は箏と神楽。 藤原南家の末裔で、後白河法皇の近臣として従二位に昇った藤原範季が祖。戦国時代末に13代当主の高倉範遠で断絶するが、江戸時代初期に権大納言四辻公遠の子の嗣良(1593-1653)が断絶していた高倉家を再興して、1637(寛永14)藪家に改称。 篤麿は25代当主にあたる。祖父の23代当主の藪実方(さねふさ)は勘解由小路光宙の子。父で24代当主は藪実休(さねたる)。
 東京出身。1884.7.8(M17)子爵を授爵。明治天皇の侍従を経て、1914〜1940(T3〜S15)貴族院議員(子爵議員)をつとめた。'36(S11)旧姓の高倉に復す。晩年は伊勢神宮大宮司。三条実美公爵の娘の篤子の夫。享年84歳。

<日本の名門1000家>
<森光俊様より情報提供>
<もへい様より情報提供>


*河鰭実文子爵は三条実美公爵と実の兄弟であり、河鰭実英は三条実美の実子であるため、高倉篤麿の妻の篤子とは実の姉弟の関係である。

墓所

*高倉家墓所は、右に高倉家代々の五輪塔、左側に高倉篤麿の墓、右側に地蔵をかたどった墓が建つ。なお、左隣りは河鰭家の墓所である。

*祖父の藪實方の墓は青山霊園、父の藪實休の墓は北青山の善光寺の無縁墓地に残されている。

*高倉永則子爵とは無関係。なお、高倉永則子爵は、京都の金戒光明寺墓地に眠っている。


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