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たかくら きんとも

高倉公朋

たかくら きんとも

1932.10.4(昭和7)〜 2019.5.2(令和1)

昭和・平成期の脳神経外科学者

埋葬場所: 21区 1種 10側

 東京出身。子爵・日本服装史家の河鰭実英の3男として生まれる。兄に天文学者の河鰭公昭がいる。旧姓は河鰭。学習院高等科の時に子爵の高倉篤麿(同墓)の養子となる。養母の篤子の父は三条実美であり、実父の河鰭実英の姉であるため、伯母にあたる。ゆえに三条実美は実の祖父にあたる。
 1951(S26)学習院高等科卒業。京都大学化学科を経て、東京大学医学部に編入し、'58 東京大学医学部卒業。専門は脳神経外科学。'63「脳損傷と体液の酵素変動」の研究で東京大学より医学博士の学位を授与される。
 '68 国立がんセンター脳神経外科医長、'78 東京大学助教授、'81 東京大学医学部教授、'92(H4)停年退官し、名誉教授。退官後は、東京女子医科大学教授。'97 東京女子医科大学学長に就任。その後、東京福祉大学副学長も務めた。財団法人日本脳神経財団理事長、財団法人日中医学協会理事、標準医療情報センター理事、産官学先端科学融合推進機構理事長、医歯薬桜友会会長、在日新疆医科大学校友会名誉会長なども歴任した。
 2000「低侵襲脳外科手術戦略システムの開発」で日経BP技術賞(医療・バイオ部門)、2013 第1回 日本脳神経外科学会 佐野圭司賞を受賞した。主な著書に『頭痛・めまい・失神 (40歳からの最新健康情報・症状別)』(1989)、『脳・神経系のMRI診断−基礎と臨床』(1991)、『脊椎・脊髄の手術』『小児脳神経外科』『悪性神経膠腫』(1994)、『側頭葉−機能・解剖・手術』(1996)、『脳腫瘍 9』(1999)、『機能的疾患』(2000)、『脳神経外科advanced practice 4 コンピュータ支援手術』(2001)、『脳腫瘍の最新医療』(2003)など、脳神経外科シリーズや先端医療シリーズ、テキストなどを多く出している。
 また共著に『MEG−脳磁図の基礎と臨床』(大久保昭行:1994)、『脳腫瘍』(松谷雅生:1996)『頭部外傷』(渡辺義郎 他:1996)『くも膜下出血』(山浦晶:1989)、『神経膠腫』(河瀬斌他:2001)の他、佐藤潔他の共著で図説脳神経外科 New Approachを多数刊行しており、『間脳・下垂体』『頭蓋底−機能・解剖・手術』(1997)、『脳幹・基底核−機能・解剖・手術』(1998)、『脳脊髄外傷』(1999)などがある。享年86歳。

<「高倉公朋先生のご逝去を悼む」寺本 明>
<日本の名門1000家など>


墓所 たかくら あつまろ(やぶ あつまろ)

*墓所には3基建ち、正面に2基並び、右側に地蔵墓石が建つ。正面右は宝篋印塔で「為 藤原南家之裔 高倉家先祖代々各霊菩提」と刻む。台座の左面「昭和十二年十一月吉祥日 功徳主 高倉篤麿 室 篤子」。左側の墓石正面「清巌院殿梅香陽岳大居士」、右面「明治十五年三月六日 先考 實休」、左面「昭和十一年十二月吉祥日建之 高倉篤麿」と刻む。この墓石は養父の高倉篤麿が建立した藪実休の墓石。左隣りの墓所は実家の河鰭家の墓所である。

*養母の高倉篤子(1880.2.15-1959:同墓)は公爵の三条実美の6女。隣の墓所の河鰭実文は三条実美の弟であり、河鰭実文の長男の河鰭公篤に男子が恵まれなかったため、三条実美の4男で実父の実英が、河鰭公篤の養嗣子となり河鰭実英として家督を継いだ。

*高倉篤麿と篤子の間にも子どもに恵まれなかったため、子爵の土御門晴善の子の範忠(1920-1994)と公朋が養子となったため、範忠とは兄弟のように育つ。本来であれば、兄の範忠が高倉家の家督を継ぐ予定であったが、1944 範忠の実兄の土御門熙光が亡くなったため、急きょ土御門家へ戻り、土御門範忠に復して子爵を相続した。そのため、公朋が高倉家を相続することとなった。なお公朋の妻は庸子。1男4女を儲けている。


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