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とりい ただかず

鳥居忠一

とりい ただかず

1881.7.30(明治14)〜 1939.1.10(昭和14)

大正・昭和期の子爵、農園家

埋葬場所: 12区 1種 7側 1番

 幕末の下野壬生3万石藩主の鳥居忠宝の孫。貴族院議員の忠文の長男。父の忠文が1884(M17)7月8日に子爵を授爵した。父没後、子爵を授爵した。忠一没後は忠博が授爵。
 1911(M44)東京農業大学卒業。三井合名会社に入り戸越農園主任となる。他に、大日本園芸組合顧問、高級園芸市場組合長を勤めた。
 '39.1.10(S14)午後6時半、伯父の葬儀の帰途、車を運転していた忠一と、同乗していた夫人の寛子、陸軍騎兵大佐で子爵の三宅忠強は、京王線の幡ヶ谷−笹塚間の渋谷区幡ヶ谷原町923の踏切に差し掛かったところ、上り電車が突っ込み、車は30メートル引きづられ、下り電車にも突っ込まれ、三人とも即死した。 鳥居忠一は享年59歳。夫人の寛子は享年46歳。三宅忠強は享年57歳。なお、夫人の寛子は財閥の三井家出身。三宅忠強は鳥居忠一の実弟で三河の田原藩主の系統の三宅家の養子。三宅坂の由来となった家で藩からは渡辺崋山を輩出している。

<大正人名辞典?(大衆人事録)>
<平成新修旧華族家系大成>
<MATSU様より情報提供>
<昭和ラプソディ>
<蒲田様より情報提供>


*忠一の実子関係では忠挙の孫が正式である。忠挙の子が忠宝と忠文。只、忠宝が弟の忠文を後継ぎとしているので養子関係では忠宝の孫という解釈も間違いではない。

<蒲田様より情報提供>


*下野壬生藩鳥居家の情報:文京区本駒込の江岸寺は代々鳥居家が祭られていた地であるが、現在は鳥居忠政の五輪塔が一基だけ残るのみであり、同所に埋葬されていた鳥居忠則・鳥居忠瞭・鳥居忠意・鳥居忠挙は同墓に改葬されたらしい。そうなると、祖父の鳥居忠宝、父の鳥居忠文も同墓に埋葬されている確率も高い。しかし、墓所内にある墓誌には忠一以下の人物が刻むのみである。

<五輪塔様より情報提供>


*忠文の墓は文京区本駒込の吉祥寺にある。忠挙の墓石は忠一が栃木県壬生町の常楽寺に移し鳥居氏累代の墓標としている。

<蒲田様より情報提供>


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