江戸出身。江戸下谷の孔雀茶屋の子。本名は平野吉太郎。屋号は成駒屋。俳名は芝賞・翫雀(初代)、雅号に魁香舎がある。
1807(文化4)初代藤間勘十郎(藤間流振付師で後の3代目藤間勘兵衛)の門下として藤間亀三郎と名乗る。
1808(文化5)3代目中村歌右衛門の門下に入り(養子となる)、中村藤太郎と改名。更に、1813(文化10)中村鶴助と改名。
1825(文政8)2代目中村芝翫を襲名した後、1836(天保7)1月の芝居で4代目中村歌右衛門を襲名した。
体格、容貌に恵まれ、時代物を得意とし、東西劇壇の代表的名優と称された。当たり役は「一の谷」の熊谷、「京鹿子娘道成寺」の白拍子など。1831(文政13)江戸中村座で初演「六歌仙容彩」などの所作事も優れた。
門下で養子には、4代目中村芝翫(同墓)、3代目中村翫雀がいる。
*墓所入口に標石「成駒屋 中村家累代墓」とあり、葺石墳墓が建つ(無刻)。墓誌がある。墓所は5代目中村歌右衛門建之。
*同墓所には4代目中村歌右衛門の養子の4代目中村芝翫、芝翫の養子の5代目中村歌右衛門、歌右衛門の長男である5代目中村福助、福助の長男である7代目中村芝翫が眠る。
*7代目中村芝翫の長男は9代目中村福助、その子が6代目中村児太郎。次男は3代目中村橋之助で妻はタレントの三田寛子。
二人の子は長男が初代中村国生、次男が初代中村宗生、三男が初代中村宜生。長女の光江は家芸の中村流を継いだ日本舞踊家で2代目中村梅彌。
次女の好江は18代目中村勘三郎(2012中村勘九郎襲名予定)に嫁ぎ、その子は2代目中村勘太郎、2代目中村七之助である。なお、2代目中村勘太郎の妻は女優の前田愛。その間に男児を儲けている。