大阪道頓堀出身。歌舞伎役者の中村富四郎の長男。俳名を鶴成・児雀・芝童。屋号は成駒屋。1838(天保9)4代目中村歌右衛門(同墓)の養子。
幼少時より中村玉太郎、中村駒三郎の芸名で舞台に立ち、中村歌右衛門の養子になって江戸に下り、初代中村福助を名乗る。1860.7(万延1)4代目中村芝翫を襲名。1863(文久3)守田座の座頭となる。美しい容貌は錦絵となり、人気も物凄く、「大芝翫」と呼ばれた。
立役・実悪・女形を兼ね、時代物世話物も得意とし、科白覚えを苦手としたが、所作事は絶品とされた。
当たり役は、「妹背山婦女庭訓」の大判事、「寿曽我対面」の工藤、「熊谷陣屋」の熊谷、「助六」の意休、「義経腰越状」の五斗兵衛、「山門」の石川五右衛門、「夏祭浪花鑑」の團七、「金閣寺」の松永大膳、「日高川」の船頭、「隅田川続俤」の法界坊、「鎌倉三代記」の佐々木高綱。
所作事は「六歌仙」、「京鹿子娘道成寺」など。小説家・劇作家で歌舞伎の作者としても著名な岡本綺堂は、「あの鋭い目で見得をすると他の俳優が光を失う」と述べている。享年67歳。
<コンサイス日本人名事典> <講談社日本人名大辞典など>
*中村歌右衛門の初代、3代目、6代目は青山霊園(1種イ1区-10側17番:加賀屋代々墓)に眠る。5代目も分骨されている。
5代目の長男である5代目中村福助以降は多磨霊園、次男である6代目中村歌右衛門以降は青山霊園と推察する。
なお、5代目中村歌右衛門の門弟である3代目中村翫右衛門の墓は多磨霊園25区1種49側(三井家)にある。
第29回 歌舞伎 成駒屋 中村歌右衛門 中村芝翫 中村福助 墓参りツアー ※再UP
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