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なかむら しかん

中村芝翫(4代目)

なかむら しかん

1831.4.15(天保2.3.3)〜 1899.1.16(明治32)

幕末・明治期の歌舞伎俳優(成駒屋)

埋葬場所: 2区 1種 13側 5番

 大阪道頓堀出身。歌舞伎役者の中村富四郎の長男。俳名を鶴成・児雀・芝童。屋号は成駒屋。1838(天保9)4代目中村歌右衛門(同墓)の養子。
 幼少時より中村玉太郎、中村駒三郎の芸名で舞台に立ち、中村歌右衛門の養子になって江戸に下り、初代中村福助を名乗る。1860.7(万延1)4代目中村芝翫を襲名。1863(文久3)守田座の座頭となる。美しい容貌は錦絵となり、人気も物凄く、「大芝翫」と呼ばれた。
 立役・実悪・女形を兼ね、時代物世話物も得意とし、科白覚えを苦手としたが、所作事は絶品とされた。 当たり役は、「妹背山婦女庭訓」の大判事、「寿曽我対面」の工藤、「熊谷陣屋」の熊谷、「助六」の意休、「義経腰越状」の五斗兵衛、「山門」の石川五右衛門、「夏祭浪花鑑」の團七、「金閣寺」の松永大膳、「日高川」の船頭、「隅田川続俤」の法界坊、「鎌倉三代記」の佐々木高綱。 所作事は「六歌仙」、「京鹿子娘道成寺」など。小説家・劇作家で歌舞伎の作者としても著名な岡本綺堂は、「あの鋭い目で見得をすると他の俳優が光を失う」と述べている。享年67歳。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典など>


墓所 標石 標石 立札

*墓所入口に標石「成駒屋 中村家累代墓」が建ち、裏面「昭和二年十月十三日 五世 中村歌右衛門」と刻む。葺石墳墓が建つ(無刻)。墓所は5代目中村歌右衛門建之。左側に墓誌、右側にお墓参りに来られた方に向けた成駒屋の立札が立つ。

*同墓所には4代目中村歌右衛門の養子の4代目中村芝翫、芝翫の養子の5代目中村歌右衛門、歌右衛門の長男である5代目中村福助、福助の長男である7代目中村芝翫が眠る。

*7代目中村芝翫の長男は9代目中村福助、その子が6代目中村児太郎。次男は3代目中村橋之助で妻はタレントの三田寛子。 二人の子は長男が初代中村国生、次男が初代中村宗生、三男が初代中村宜生。長女の光江は家芸の中村流を継いだ日本舞踊家で2代目中村梅彌。 次女の好江は18代目中村勘三郎(2012中村勘九郎襲名予定)に嫁ぎ、その子は2代目中村勘太郎、2代目中村七之助である。なお、2代目中村勘太郎の妻は女優の前田愛。その間に男児を儲けている。


家系図

*中村歌右衛門の初代、3代目、6代目は青山霊園(1種イ1区-10側17番:加賀屋代々墓)に眠る。5代目も分骨されている。 5代目の長男である5代目中村福助以降は多磨霊園、次男である6代目中村歌右衛門以降は青山霊園と推察する。 なお、5代目中村歌右衛門の門弟である3代目中村翫右衛門の墓は多磨霊園25区1種49側(三井家)にある。



第29回 歌舞伎 成駒屋 中村歌右衛門 中村芝翫 中村福助 墓参りツアー ※再UP


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