メイン » » » 児島惣次郎
こじま そうじろう

児島惣次郎

こじま そうじろう

1869.12.8(明治2)〜 1936.10.18(昭和11)

明治・大正期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 2区 1種 3側 10番

 岡山県出身。長野六三郎の三男として生れる。1877(M10)児島滋胤(同墓)の養子。
 1888(M21)陸軍士官学校に入る。1891陸軍歩兵少尉に任ぜられ、1893陸軍大学校に入り、1898主席で卒業。 爾来昇進して1918(T7)陸軍中将となる。その間、第八旅団副官、独逸公使館付武官補佐官、陸軍大学校教官、陸軍省軍務局御用掛、参謀本部編制動員課長、近衛歩兵第三連隊長、歩兵学校長、朝鮮軍憲兵隊司令官、サガレン派遣軍司令官、教育総監部本部長を歴任して陸軍次官に転じた。 先にドイツに留学して軍政を研究し陸軍の軍政通を以て知られ、山県元帥の副官時代在郷軍人団組織を献策し、また山梨陸軍大臣を支えて軍縮を断行するなど幾多の軍制改革を行った。陸軍次官在任中に死去。 1920(T9)11月1日勲一等旭日大綬章受章。墓碑の書は宇都宮紀綱、誌は中岡黙。

<日本人名大事典>
<陸軍大学校全人録上巻>
<MATSU様より情報提供>


こじま そうじろう

*墓石は和型で「陸軍中将児島惣次郎之墓」と刻む。右面に「児島滋胤母子之墓」と刻む碑石が建つ。その右隣りに墓誌が建つ。墓誌には、陸軍騎兵中尉 従七位 児島武徳や、正五位 勲三等 児島義徳らのが刻む。なお、児島義徳(よしのり 1982.10.22没)は、惣次郎の長男で、士候32、岐阜第2航空教育隊長などを務めた陸軍中佐。

*養父の児島滋胤は惣次郎兄の一生の友人で、秀才の誉れ高く将来を嘱望されながら、1879(M12)7月30日に少尉で夭折している。 墓誌には岡山藩士族と刻む。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・か行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。