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かしわぎ とうわ

柏木東和

かしわぎ とうわ

1893(明治26)〜 1944.2.22(昭和19)

大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 19区 1種 13側

 神奈川県出身。1916.5.26(T5)陸軍士官学校卒業(28期)。同期に當山弘道(後に中将:21-1-19)、池田顯亮(後に少将:13-1-26)、加島起巳(後に少将:23-1-26)、二見秋三郎(後に少将:4-2-新26)、小柴俊男(後に大佐:2-1-13)、同.12.26歩兵少尉に任官。以後、様々な軍歴を重ね、1941.3.1大佐に昇進。'42.8.1歩兵第238連隊長。山西省華北の警備や治安維持にあたった。 同.11 所属していた第41師団は華北からニューギニアに転用されることとなり、司令官:安達二十三中将、参謀長:吉原矩中将、高級参謀:杉山茂大佐の率いる第18軍「猛」集団の第41師団 「河」兵団(師団長:阿部平輔中将)の部隊長として、'43.2東部ニューギニアに着任(どのような亡くなられ方をしたのかは不明)するも、同.2.22戦死。享年50歳。没後、少将に特進した。
 なお、第二次大戦の日本軍によるニューギニアの戦いは、ダグラス・マッカーサー率いる米国とオーストラリア連合軍の前に壊滅的な打撃を加えられた。 また、飢餓とマラリア等の感染症に苦しみ、日本軍兵士約20万名中、生きて内地の土を踏んだ者は約2万名に過ぎなかった。 「ゲゲゲの鬼太郎」の作者で有名である水木しげるは歩兵第229連隊に所属(爆弾で左腕を失いマラリアを発症したが原住民に助けられ奇跡的に生還)。 ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』(ウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があった事を知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求めるドキュメンタリー)で知られる奥崎謙三は独立工兵第36連隊に所属。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧など>


*墓石は「柏木家之墓」。左側に墓誌があり、戒名は東和院至心精忠大居士。墓誌には「南海派遣 河 第三五六三部隊長 陸軍少将」「ニューギニアにて戦死す」と刻む。妻は菊枝(H5歿 93歳)。


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