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かのう ごうたろう

狩野剛太郎

かのう ごうたろう

1878.10.2(明治11)〜 1943.5.23(昭和18)

明治・大正・昭和期の技師、実業家

埋葬場所: 8区 1種 13側 21番

 東京出身。曽祖父は大館城代組下久保田藩士の狩野与十郎良安、曾祖母は歌人の狩野水子(同墓)。祖父は家老・漢学者の狩野良知(同墓)。父は自由民権運動家の狩野元吉(同墓)の長男として生まれる。父が早世したため、叔父の哲学者の狩野亨吉(同墓)の養子となる。また叔母で未亡人となった前小屋久子と子息たちも狩野亨吉邸に身を寄せたため、叔母に育てられる。
 1904(M34)東京帝国大学土木科卒業。卒業後、鉄道員技師となる。その後、'19(T8)若尾鴻太郎(11-1-10)が三ツ引商事株式会社を設立したことを機に転職。三ツ引商事工務部長を務めた。'32(S7)清水組にて活動した。享年64歳。

<大衆人事録 東京篇>


墓地 前小屋定吾墓

*墓所には7基建つ。正面は祖父の墓「狩野良知之墓」、裏面は生没年月日が刻む。墓所右側に4基、墓所左側に2基。墓所右側奥から祖母の水野千代子(天保8.11.11-M10.9.17)の墓「狩野良知妻水野千代子墓」、裏面は略歴が刻む。その右隣りは題字「狩野良安妻山田氏美津之墓」とあり、曾祖母の狩野水子の略歴が刻む。その右隣りが父の「狩野元吉墓」、裏面は略歴が刻む。その右隣りは叔母の前小屋久子の子で兄弟のように共に過ごした従兄弟「前小屋定吾墓」、左面「明治三十六年八月十三日 享年十九」。墓所左側奥から叔父で養父の「狩野亨吉墓」、裏面は生没年月日が刻む。その左通りは「狩野家之墓」、裏面「昭和三十五年二月 狩野英 / 同 新 建之」。左右面が墓誌となっており、狩野剛太郎らが刻む。狩野剛太郎の妻は幾代(M12-S37.2.15)。長男は英(M42-H12.3.31)、二男の明は1歳で早死。長女は愛子(T3生)、二女は和子(T7生)、三男は新(T12生)。長男の狩野英は東京帝国大学卒業後、鉄道省官僚。育ての叔母の前小屋久子の刻みがない。

*大館の墓所から、1933.6(S8)狩野亨吉が多磨霊園に移築。


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