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かのう みずこ

狩野水子

かのう みずこ

1808(文化5.11.25)〜 1882.1.18(明治15)

江戸後期・幕末の歌人

埋葬場所: 8区 1種 13側 21番

 出羽国秋田郡大館町(秋田県大館市)出身。本名は美津。旧姓は山田。山田忠四郎勝証の長女。
 18歳で大館城代組下久保田藩士の狩野与十郎良安に嫁した。姑によく尽くし女大学と称された。幼くして父に学び才女のほまれが高く、子に近代漢学の明星といわれた狩野良知(同墓)、漢学者の狩野徳蔵(旭峰)がいる。
 良知が明徳館詰役支配となると、共にに久保田に移り、内務省に奉仕すると水子も上京して麹町に住んだ。歌道を好み、家集(歌集)に『のちのかたみ』がある。享年73歳。

<日本女性人名辞典>
<秋田人名事典>
<講談社日本人名大辞典>
<碑文より>


墓地

*墓所には7基建つ。正面は「狩野良知之墓」、裏面は生没年月日が刻む。墓所右側に4基、墓所左側に2基。墓所右側奥から良知の妻の水野千代子(天保8.11.11-M10.9.17)の墓「狩野良知妻水野千代子墓」、裏面は略歴が刻む。その右隣りは題字「狩野良安妻山田氏美津之墓」とあり、狩野水子の略歴が刻む。その右隣りは良知の長男「狩野元吉墓」、裏面は略歴が刻む。その右隣りは良知の次女の前小屋久子の子「前小屋定吾墓」、左面「明治三十六年八月十三日 享年十九」。墓所左側奥から良知の次男「狩野亨吉墓」、裏面は生没年月日が刻む。その左通りは「狩野家之墓」、裏面「昭和三十五年二月 狩野英 / 同 新 建之」。左右面が墓誌となっており、良知の孫・元吉の長男・亨吉の養子の狩野剛太郎、妻の幾代、その子息家族たちが刻む。前小屋久子の刻みがない。

*大館の墓所から、1933.6(S8)狩野亨吉が多磨霊園に移築。

※生まれ年を1909年(文化6)とする人名辞典が多いが、碑には1808年(文化5年)と刻むので、そちらを採用する。


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