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かのう りょうち

狩野良知

かのう りょうち

1828(文政11)〜 1906(明治39)

秋田藩士、儒者

埋葬場所: 8区 1種 13側 21番

 息子次男は思想家の狩野亨吉同墓所左側建立。江戸に出て佐藤一斎、昌平黌(しょうへいこう)などで学ぶ。尊王開国論を唱え、『三策』を著した。 嘉永6年、北国旅行中に大館へ立ち寄った長州藩士の吉田松陰によって持ち帰られて、後年、松下村塾より出版される。 戊辰戦争では、藩校の明徳館詰役支配に抜擢された。維新後は内務省権少書記官などを歴任し、明治39年12月14日病のため没した。

<幕末維新江戸東京史跡事典>


*狩野間斎という名でも馳せており、墓所内に碑が建つ。致仕後良夢。字は君修。遺著『間斎集』〔升〕与十郎(良知の父)。

<秋田人名事典108頁>
<五輪塔様より情報提供>


墓地 水野千代

*墓所中央に良知の墓石、やや右後には妻の水野千代の墓、正面左側に次男の亨吉の墓石が建ち、 向き合わせに建っているのが長男の元吉の墓石。墓域の右手奥に苔蒸して立つのが母の狩野水子(美津)の墓である。 なお、正面左側手前に狩野家代々の墓が建つ。


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