歴史が眠る多磨霊園 |
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狩野良知 | |
かのう りょうち | |
1829(文政12.5.4)〜 1906.12.14(明治39) | |
幕末期の武士、家老、漢学者、明治期の内務省官吏 | |
埋葬場所: 8区 1種 13側 21番 | |
出羽国秋田郡大館町(秋田県大館市)出身。狩野家はもともと山形を本拠地とする最上氏に仕えた武家である。最上氏が江戸幕府によって改易されたのち、久保田藩(本城は久保田城)の支城があった大館の佐竹西家に仕えた。大館城代組下久保田藩士の狩野与十郎良安、歌人の狩野水子(同墓)の長男。弟に漢学者の狩野徳蔵(旭峰)がいる。幼名は国松、のちに深蔵を名乗った。字は君達、号は羽北。良知のヨミを「よしとも」とも。 <幕末維新江戸東京史跡事典>
*墓所には7基建つ。正面は「狩野良知之墓」、裏面は生没年月日が刻む。墓所右側に4基、墓所左側に2基。墓所右側奥から良知の妻の水野千代子(天保8.11.11-M10.9.17)の墓「狩野良知妻水野千代子墓」、裏面は略歴が刻む。その右隣りは題字「狩野良安妻山田氏美津之墓」とあり、良知の母の狩野水子の略歴が刻む。その右隣りは良知の長男「狩野元吉墓」、裏面は略歴が刻む。その右隣りは良知の次女の前小屋久子の子「前小屋定吾墓」、左面「明治三十六年八月十三日 享年十九」。墓所左側奥から良知の次男「狩野亨吉墓」、裏面は生没年月日が刻む。その左通りは「狩野家之墓」、裏面「昭和三十五年二月 狩野英 / 同 新 建之」。左右面が墓誌となっており、良知の孫・元吉の長男・亨吉の養子の狩野剛太郎、妻の幾代、その子息家族たちが刻む。前小屋久子の刻みがない。 <秋田人名事典108頁>
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