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かのう げんきち

狩野元吉

かのう げんきち

1858.1.28(安政5)〜 1886.10.18(明治19)

維新期の自由民権運動家

埋葬場所: 8区 1種 13側 21番

 出羽国秋田郡大館町(秋田県大館市)出身。祖父は大館城代組下久保田藩士の狩野与十郎良安、祖母は歌人の狩野水子(同墓)。大叔父に漢学者の狩野徳蔵(旭峰)。父は家老・漢学者の狩野良知、千代子(共に同墓)の長男として生まれる。弟に哲学者の狩野亨吉(同墓)。
 根本通明、箕作秋坪に学び、郵便報知記者となる。1879(M12)頃、すでに秋田の民権論者と呼応して東京で活躍。1880 第二回国会期成同盟会にも出席した。また秋田の国会開設運動の組織である北羽連合会の建言委員、遠山角助が上京した際にもこれを補佐して活躍した。政治家の島田三郎とも親交があった。在京の県人活動家である大久保鉄作、小泉吉太郎らとも協力して嘱望されたが、29歳の若さで病死した。
 遺された息子の狩野剛太郎(同墓)は、弟の亨吉と養子縁組した。

<秋田人名事典など>


墓地

*墓所には7基建つ。正面は父の墓「狩野良知之墓」、裏面は生没年月日が刻む。墓所右側に4基、墓所左側に2基。墓所右側奥から母の水野千代子(天保8.11.11-M10.9.17)の墓「狩野良知妻水野千代子墓」、裏面は略歴が刻む。その右隣りは題字「狩野良安妻山田氏美津之墓」とあり、祖母の狩野水子の略歴が刻む。その右隣りが「狩野元吉墓」、裏面は略歴が刻む。その右隣りは妹の前小屋久子の子「前小屋定吾墓」、左面「明治三十六年八月十三日 享年十九」。墓所左側奥から弟の「狩野亨吉墓」、裏面は生没年月日が刻む。その左通りは「狩野家之墓」、裏面「昭和三十五年二月 狩野英 / 同 新 建之」。左右面が墓誌となっており、息子・長男の狩野剛太郎、妻の幾代、孫たちが刻む。妹の前小屋久子の刻みがない。

*大館の墓所から、1933.6(S8)狩野亨吉が多磨霊園に移築。


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