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ふじた つぐお

藤田嗣雄

ふじた つぐお

1885.3.30(明治18)〜 1967.10.7(昭和42)

昭和期の法制史学者

埋葬場所: 19区 1種 13側

 東京出身。祖父の藤田嗣服(つぐのり)は安房長尾藩本多家家老。陸軍軍医総監の藤田嗣章・まさ(政) の長男。母のまさは江戸旗本の小栗信の次女。 小栗信の長女の舛肋山内建(5-1-1-37)に嫁いでいるので、劇作家の小山内薫(5-1-1-37)とは従兄弟。弟の藤田嗣治はフランスで活動した著名な洋画家。 妹のやす は陸軍軍医総監の中村緑野に嫁ぎ、きく は小山内薫の最後を看取った主治医で陸軍一等軍医の蘆原信之に嫁いだ。甥に音楽評論家の蘆原英了、建築家の芦原義信がいる。
 東京帝国大学卒業。朝鮮総督府をへて陸軍省に入り、軍政を研究した。戦後は国立国会図書館専門調査員、のち上智大学教授。1953(S28)「軍隊と自由」では再軍備必要論を説いた。 著作に『明治軍制』『明治憲法論』『欧米の軍制に関する研究』。法学博士。享年82歳。

<講談社日本人名大辞典など>


*妻は児玉源太郎(8-1-17-1)の三女のモト。娘の信子は枢密院書記官の村上恭一の次男の慎二に嫁いだ。

*墓石は「藤田家之墓」。墓石裏面に「昭和十七年一月 藤田嗣雄建之」と刻む。墓誌はない。建之した昭和17年1月は父の藤田嗣章の一周忌にあたるため、同墓に眠る可能性は高い。


藤田嗣章 ふじた つぐあきら
1854(嘉永7.1)〜 1941.1.13(昭和16)
明治・大正期の陸軍軍医(中将)
 大学東校に学び、1877(M10)陸軍軍医補となり、第5師団軍医部長、朝鮮総督府医院長などを歴任。1912(T1)陸軍軍医総監。


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