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おさない たけし

小山内 建

おさない たけし

1848(嘉永1)〜 1885.2.16(明治18)

明治期の軍医、医学者(高橋お伝解剖者)

埋葬場所: 5区 1種 1側 37番

 青森県士族(津軽藩)出身。一書生より苦学立身し、1872(M5)頃李家文厚、村瀬譲、門倉健次郎、山口惟永等と恩賞軍医寮八等出仕と為り、1874(M7)頃二等軍医正に任じ従六位になった。 陸軍本病院第一線長となり、1877(M10)西南の役別働第一旅団軍医部長として功あり、翌年1月11日に勲四等に叙し旭日小綬章を賜う。 広鳥鎮台病院長に補し1883(M16)一次軍医正に進み4月9日に正六位に叙す。 治術の妙は人の知る所であり広島県下の人民にとって難病に罹り治療を受けて全治させた者は多かった。 廣島鎮台病院長などにも務めた。なお、毒婦や妖婦などと言われ死刑となった高橋お伝の屍骸を解剖したのは、小山内健である。「小陰唇異常肥厚、陰挺異常発達」という診断を下している。
 森鴎外は彼を「渋江抽斎」で紹介をした。この時に解剖された高橋お伝の陰部は現在もアルコール漬けされて現存する。 1885肺卒中症を患い没した。息子(8男)には劇作家として活躍した小山内薫(同墓)や娘には劇作家の岡田八千代がいる。

<明治過去帳など>
<五輪塔様より情報提供>


*小山内建は森鴎外の考証小説「濯江抽斎」にも登場している。

*小山内家の墓所には4基の墓石が建ち、右から青森士族小山内秀三、小山内(金+享)、劇作家の小山内薫、そして「陸軍一等軍医正正六位勲四等」と刻む小山内建と妻の孝子の墓が建つ。なお、小山内建は広島で没しており、本墓は広島比治山にある。多磨霊園の墓は遺髪墓である。その旨が碑陰に小さく刻まれている。

*軍事評論家で小山内薫の次男である小山内宏が同墓所に眠っているのかは調査中である。 付け加えとして宏の妻の小山内富子は児童文学者であり、ご健在です。


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