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ほりぐち すけはる

堀口助治

ほりぐち すけはる

1872.3.8(明治5.1.29)〜 1935.3.11(昭和10)

明治・大正・昭和期の内務官僚、県知事

埋葬場所: 3区 1種 32側

 宮崎県出身。士族の堀口貞由の長男として生まれる。1900(M33)東京帝国大学法科卒業後、翌年文官高等試験に合格。警視庁属兼警視、四谷警察署長、埼玉・福岡・栃木・熊本各県の事務官、内務部長を歴任。
 '15(T4)第21代福島県知事に就任(在任:'15.4.1〜'16.4.28)。堀口はチャキチャキの政友会知事であり、内務部長も政友会系であったので、堀口は反対党である憲政会を圧迫した。後年は八幡市長を務めた。正5位 勲4等。享年63歳。

<日本歴代知事総覧>


*墓石は自然石「堀口家之墓」、裏面には堀口助治の歿年月日と行年が刻み、「昭和十年五月 堀口富子建之」と刻む。左側に墓誌が建つ。墓誌には「堀口家先祖代々之霊」とあり、堀口助治から刻みが始まる。「正五位勲四等」と刻む。享年は「六十有四」と刻む。妻のトミ(M18.12-S22.9.20)は鹿児島出身、旧姓は上床。助治とトミの間には、長女はハナ(M38.6生)、二女はフジ(M41.1-H17.12.18:同墓)の2女儲ける。フジは婿養子をとり、夫の堀口可吉(S61.10.27歿)も眠る。堀口可吉は育生会横浜病院 2代目院長を務めた。

*多磨霊園に眠る福島県知事に就任した経験がある人物は、第17代 平岡定太郎(10-1-13-32)、第34代 畑山四男美(26-1-38)、第35代 伊藤武彦(20-1-15-3)、第37代 橋本清吉(10-1-9)、第54〜56代 松平勇雄(4-1-21)である。


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