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まつだいら いさお

松平勇雄

まつだいら いさお

1907.6.14(明治40)〜 2006.4.1(平成18)

昭和期の政治家、福島県知事

埋葬場所: 4区 1種 21側

 祖父は会津藩最後となる9代藩主の松平容保。父の松平健雄(同墓)は、容保の次男で1918(T7)分家し、宮司を務めた。勇雄は健雄の次男。伯父の松平容大は容保の家督を継いだ子爵。 叔父の松平恒雄は健雄と腹違いの弟であり、外交官・初代参院議長などを務めた。恒雄の娘が秩父の宮に嫁いだ雍仁親王妃勢津子殿下であるため従兄弟となる。
 福島県会津高田町出身。1933(S8)早稲田大学商学部卒業。三菱商事社員、鉄鋼会社社長を経て、'51橋本万右衛門死去に伴う参院補選に福島地方区から立候補し初当選。 '56第四回参院選では現職議員で後に福島県知事となる木村守江を退け当選。以後、'74まで4期23年間務めた。その間、'66(S41)12月、第1次佐藤内閣の行政管理庁長官として初入閣。 '76.9贈収賄事件で逮捕された木村守江知事の辞職を受け、福島県知事選に出馬し当選。'88.9まで3期12年務めた。 知事としては「松平スマイル」と称されるほど気品ある温厚な人柄であり、また一方では清廉潔白を貫く会津人らしい気骨をもって県政をリードした。'83勲一等旭日大綬章受章。 知事を勇退後も自宅の東京から度々福島県へ赴き旧交を温めていたが、玲子(1918.1.14〜2000.4.8)夫人の他界後は老いも目立ち、2006.4.1老衰のため東京都世田谷区の自宅で死去。享年98歳。 葬儀・告別式は6日目黒区の圓融寺・示真殿で営まれた。喪主は長男の真隆(まさたか)。正三位。

<福島民友新聞等の訃報記事など>


 


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