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はら くにぞう

原 邦造

はら くにぞう

1883.6(明治16)〜 1958.3.30(昭和33)

大正・昭和期の実業家

埋葬場所: 7区 1種 5側 9番

 大阪出身。旧姓は田中。銀行家の原六郎(同墓)の二女の多喜と結婚し婿養子となる。
 京都帝国大学卒業。満鉄勤務、金融・生命保険業界をあゆみ、第百銀行頭取、東京貯蓄銀行取締役を経て、1924(T13)愛国生命社長に就任。また、'32(S7)の明治精糖事件で辞任した相馬半治のあとをうけて同社長。東武鉄道など多くの企業の取締役を兼ねた。
 太平洋戦争中は帝都高速度交通営団(営団地下鉄)総裁を務めた。戦後は、電源開発初代総裁、日本航空会長、東京ガス会長、日銀政策委員などを歴任。妻の原多喜の著作の『原邦造』(1960)がある。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典>


*墓石正面「原家之墓」。墓所内には椅子に腰かける原六郎像が建つ。母は造林王の土倉庄三郎の長女の富子(同墓 1869-1957)。叔父(母の弟)にカーネーションの父と称された土倉龍治郎(16-1-20)、龍治郎の長男で従兄弟にカルピス社長の土倉冨士雄(16-1-20)。叔母(母の妹)の政子は伯爵で外務大臣を務めた内田康哉(11-1-1-6)に嫁いだ。

*東京都品川の御殿山の旧邸跡は、1979(S54)孫の原俊夫が開放し、財団法人アルカンシェール美術財団を母体として現代美術を中心とした「原美術館」として開館。御殿山庭園にはガラスケースに覆われた白亜の大理石の原六郎像が建つ。群馬県伊香保温泉の伊香保グリーン牧場内に原美術館別館としてハラミュージアムアークも開館した。なお、品川の御殿山の敷地は、1892(M25)原六郎が西郷従道(10-1-1-1)から譲り受けた場所で、現在の原美術館の建物(「レ」の字型で有名)は、1938(S13)に建築家の渡辺仁が設計し、原邦造の邸宅として使用(S13-S20)されるも、敗戦後にGHQに接収され、その後、外務省公館やフィリピンやセイロン大使館などで活用され、10年間ほど廃墟となっていたが、孫の原俊夫に戻り美術館へと開放した経緯がある。2020.12(R2)老朽化のため閉館することが決まった。



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