歴史が眠る多磨霊園


うえすぎ しんきち

上杉慎吉

うえすぎ しんきち

1878(明治11)〜 1929(昭和4)

明治・大正期の憲法学者

埋葬場所: 3区 1種 3側 9番

 1906(M39)ドイツに留学、帰国後、東大教授となる。 その憲法学説は穂積八束の影響が強く、君主主権による絶対主義である。 12(T1)「国体に関する異税」を発表し、美濃部達吉(25-1-24-1)の「天皇機関説」を攻撃、 天皇制絶対主義勢力とデモクラシー勢力のイデオロギー闘争となった。 また単に学者にとどまらず社会運動に関与し、護憲運動に対抗して13年保守的学者・官僚を集め「桐花学会」を作り、 また東大内では新人会・社会科学研究会に対抗して興国同志会・七生会を作るなど、 天皇制絶対主義勢力の理論的・実践的指導者であった。

<コンサイス日本人名事典>

*父の上杉寛二は大聖寺藩藩医・適塾門下の医学者である。父及び上杉家代々の墓所は慎吉墓所の道を挟んで向い側に建つ。 なお代々墓所内の墓誌に慎吉の名も刻む。

*上杉慎吉の子の上杉正一郎は東京経済大学名誉教授の統計学者であり、同墓に眠る。


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