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うえすぎ かんじ

上杉寛二

うえすぎ かんじ

1848(嘉永1)〜 1931.7.29(昭和6)

明治・大正期の医学者(大聖寺藩藩医・適塾門下)

埋葬場所: 3区 1種 4側 11番

 加賀大聖寺において藩医上杉全菴の子として生れる。号木久。
 若くして福井及び大坂に遊学して医学を学び、大坂の緒方洪庵の適塾において西洋医学を修めた。 明治維新後は金沢において開業、のち東京に移り開業医として活躍した。子に憲法学者の上杉慎吉(同墓)がいる。

<日本洋学人名事典>
<MATSU様より情報提供>


墓所 うえすぎ しんきち

*上杉慎吉墓所と道を挟んで向かい合うように上杉家代々之墓は建立されている。墓誌には寛二の名前の他に慎吉の名前も刻まれている。

*上杉慎吉の子の上杉正一郎は東京経済大学名誉教授の統計学者であり、同墓に眠る。


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