*墓石は和型「赤澤元造墓」、左面「昭和十一年五月十二日永眠 享年六十有二」、右面は墓誌となっており、妻は譽子(S44.7.14)、長男の忠彦(S15.12.20)、岡本義一(H1.6.7)、佐喜枝、幸子、宏子が刻む。墓所左側に「赤澤忠彦之碑」が建つ。表面には「大正五年二月九日神戸に生る。昭和十五年十二月廿日東京湾で殉職す」と刻む。裏面「昭和十六年十二月二十日建之」。
*左側に元造の長男の「赤澤忠彦之碑」が建つ。赤澤忠彦(1916.2.9-1940.12.20)は、神戸出身。
東京帝国大学航空学科卒業後、陸軍航空部隊に所属。陸軍大尉。
1940.12.20(S15)航空局の検査飛行を陸軍側として同乗した際に、千葉県姉ヶ崎沖合いに墜落(碑には東京湾で殉職と刻む)し、忠彦含む搭乗者13人全員死亡という大事故が起きた。
事故原因は不明であったが、事故の教訓から、検査基準の制定や自動計測装置の重用、搭乗員を最小限にすることなどの改善が行われ、民間航空における本格的な事故調査体制が確立される第一歩となった。
羽田整備場の三菱の「YS−11部品倉庫」隣りにある「JCAB合同庁舎」脇の道路沿いに『妙高号の殉難祈念碑(慰霊碑)』が建つ。