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よしおか せいめい

吉岡誠明

よしおか せいめい

1873.5.4(明治6)〜 1940.10.19(昭和15)

明治・大正・昭和期の牧師

埋葬場所: 18区 2種 25側

 長崎県諌早市久山町出身。吉岡藤蔵の次男として生れる。小学校を終え、長崎に出て鎮西学院の前身カブリ英和学校に入学し、キリスト教に接した。1893(M26)卒業し、青山学院に進み、1897神学部を卒業。当時の写真には、生江孝之(14-1-22-15)、小室篤次、三浦金吉らの顔がみえる。
 卒業前に既に福岡県若松に伝道していたらしく、これが実を結んで若松(若松浜ノ町)教会の設立になったものとみられる。その後、米国留学を志し、ドルー神学校に入学、次いでコロンビア大学でサンスクリットを修め、インド哲学を専攻。病を得、学業を中断して帰国することになったが、奇跡的に全快し、ポートランド教会に赴任。その後シアトル教会を8年間牧して帰国した。
 爾来、青山学院教会(経堂緑岡教会)、三田(銀座)教会、銀座教会と歴任し、その間1921(T10)3月からは日本メソヂスト教会東北部長として行政的手腕を発揮。'33(S8)伝道局長に選ばれた。'36世田谷の自宅で開拓伝道を始めた。これが現在の玉川平安教会である。享年67歳。

<キリスト教歴史大事典>
<MATSU様より情報提供>


墓所

*墓石正面「牧師 吉岡誠明之墓 / 妻 たみ之墓」、右面「昭和十五年十月十九日永眠」と刻む。墓所右側に墓誌が建つ。吉岡誠明から始まり、たみ(S26.4.16召天・72才)、吉岡襄(H12.5.9召天・91才)、吉岡眞也(H23.11.12召天・73才)、吉岡熙子(R3.5.31召天・105才)。

*吉岡誠明の自宅で第一回礼拝が始まり、1941.4(S16)日本基督教団玉川平安教会となり、'48.10 会堂と牧師館が完成。吉岡誠明以後は、二代目は吉岡誠人、三代目は吉岡生と続いていく。なお、玉川平安教会のお墓は千葉県柏市のラザロ霊園内にある。


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