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いしざか まさのぶ

石坂正信

いしざか まさのぶ

1860.8.21(万延1.10.5)〜 1934.11.9(昭和9)

明治・大正・昭和期の教育者

埋葬場所: 5区 1種 1側 4番

 江戸牛込出身。広瀬青邨の塾で漢学を学び、共立学校で英語、数学を修業後、2年間東京帝国大学予備門に在学。 1880(M13)亡き兄の友人の紹介で横浜の美會神学校普通科に入学。 1882.9同校が東京英学校と合同して東京に移ってからも英語の勉学を続けた。
 初めはキリスト教に対し批判的であったが、1883リヴァイヴァルにより回心してソーパー,J.から受洗。 同年東京英学校が改称した東京英和学校の講師となり、1886幹事に就任。 1889渡米留学しアルビヨン大学、ジョンズ・ホプキンス大学で歴史学、経済学を専攻、Ph.D.の学位を受け、1894帰国。 東京英和学校が青山学院と改称後も、引き続き教鞭をとり、中等科ならびに高等科の科長を歴任した。
 1921(T10)第5代青山学院院長に就任。'23.9.1関東大震災の時は、東京は瞬時にして火の海と化し、青山学院も新ガウチャー・ホール(中学部校舎)や勝田ホール(高等学部校舎)などレンガ建ての建築物はすべて倒壊、神学部時計台も石坂の目の前で崩れ落ちた。 この状況下で、当時の中学部長であった阿部義宗とともに被災者の救済にあたった。 渡米して、メソジスト監督教会からの資金募集に尽力し、全米で日本援助復興費募金運動が活発となり、募金の一部が青山学院の復興資金にあてられた。 再建を契機に青山学院と青山女学院の合同計画も実現させ、学生数約3000人の青山学院の地歩を築いた。 キリスト教主義学校にとって経営の困難な時期に、よく学院の復興と発展に献身した。1933(S8)引退して名誉院長となった。享年74歳。

<日本キリスト教歴史大事典など>


 


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