不定期感想の部屋(2006,2007,2008年)
2006年5月15日作成
最終更新日 2008年4月29日

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2007年
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2006年
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【10月7日】
2007年不定期感想(その5)

【アニメ】 スクールデイズ 12話(最終話)などについて

 アニメの最終話とゲームの結末の一部をニコニコで見ましたが、改めて人間思い込みが激しくなると何するか判らない恐ろしさを感じました。人の幸せを妬むあまり、惨殺だけでは飽き足らず「誰もいませんよ」と中身を確かめてみたり、決死の一人フリーフォールで人の恋路を永遠に邪魔したりなど、見るに耐えない鬱展開の嵐でした。
 それからアニメ本編を大雑把につまみ食いしてみると、確かに“誠”は相手の気持ちを逆撫でしてばかりで、しかも、その場に流されてただフラフラとヤリタイ放題では、包丁の一本や二本刺されても致し方ないでしょう。自分も思わず「誠死ね」のコメントを書き込もうかと思ったくらいです。
 それにしても、“言葉”という女の子はあらゆる意味で凄まじい電波を撒き散らしていた。“誠”を自分のものにする為ならどんな屈辱も耐え忍び、邪魔するものは狡猾な手段を使って徹底的に排除するなんて、普通の神経の持ち主なら絶対にできません。「自分こそが“誠”の彼女に最も相応しい」ことを激しく思い込み、他の誰にもマネのできない愛情表現で永遠の理想郷(所謂「nice boat」)を手にした“言葉”は、この先どこへいってしまうのでしょうか。

 





【5月28日】
2007年不定期感想(その4)

【その他】 最近購入したものについて(その4)

【本】 [マネ]するマーケティング/岡本し郎、

 “[マネ]する〜”は、知識をただ丸暗記するのではなく、そこに表れる共通のパターンを知恵として吸収することが、どうやら大事なようです。物事を別の次元から見直す為のヒント集として、大いに役立てられると思います。

【本】 モモ/ミヒャエル・エンデ

 “モモ”の世界の人間が盗まれたのは、本当に「時間」だったのでしょうか。もしかしたら、それ以上に大事な何かだったような気がします。あと、冒頭の「むかし、むかし・・・」というお決まりのフレーズにしても、それが本当に現在よりも昔のお話だったのか、それとも・・・、なんて考えてしまうほどの懐の深い御伽噺だったと思います。

 

【CD】 システマティック ケイオス/ドリームシアター

 前作“オクタバリウム”をベースに、ヘビーでダークネスな雰囲気をより推し進め、また、“リキッドテンション エクスペシメンツ”をより濃密に練り上げてボーカルも加えた印象を受けます。作品の感想については、これから聞き込んでいくにつれて評価が定まってくることでしょう。ですから、今は素直に最新アルバムをヘビーローテして楽しもうと思います。

【CD】 ミスプレイスド/DGM

 本作の聞き所は@AGにあるような、密度があって勢いのあるメロディックパワーメタルにあります。Hの北斗の拳のカバーはともかく、それら以外はメロディーの厚みに物足りなさを感じながらも、もう一捻り加えたら今後化ける可能性も秘めてるようにも思いました。

 





【5月28日】
2007年不定期感想(その3)

【その他】 最近購入したものについて(その3)

【コミック・DVD】 フルーツバスケット

 “本田透”という一人の人間が作品の世界に与えた影響が大きく、彼女がいたからこそ物語は大団円を迎えられたのだと思います。人は誰しも心に苦しみを抱えており、それを判ってほしいと願いつつも、そう簡単には理解してもらえないのが現実です。だからこそ、“透”のように純粋に接してくれる架空の世界のキャラというのは、いろんな意味で癒しの存在として輝いているのだと思います。
 今でしたらアニメ版のDVDボックスも出ています。アニメ、原作コミックのいずれも名作ですので、未体験の方はどちらからでもすんなりと入っていけるのではないでしょうか。

   

【コミック】 P2!-let’s Play Pingpong!

 何かの拍子で何号分か読んだ最近のジャンプで「普通のスポ根ものとは違う何か」を予感させるマンガ、それが“P2”であります。「根性だけを頼りに闇雲に努力でなんとかしようとする」のではなく、どうすれば「人を成長させられるのか」と考えながら、現実味のある手法で練習しようとしていることにある意味感動しました。そして、改めて1巻から読んでみると、やはり、従来のスポ根ものとは違う雰囲気を漂わせていることに、ますます興味がわいてきている最中です。

 

【本】 つっこみ力

 “反社会学講座”で一躍時の人となった戯作者“パオロ・マッツァリーノ”の最新作のテーマは「つっこみ力」。これからの時代で求められるのは「正しいと思ったことを、いかに面白く伝えるか」だそうです。一方的に批判するのではなく、相手が反論するだけの余地を残すくらいの加減で茶化しつつ、笑いのある「つっこみ」で、判りやすく伝える努力をすることの大切さを訴えています。

 





【4月23日】
2007年不定期感想(その2)

【その他】 最近購入したものについて(その2)

 なんだかんだ気になっていた“スーパーペーパーマリオ”。ペラペラの世界観となんだか子供じみたやりとりを気軽に楽しむタイプのソフトのようであります。一部で大評判となっている「はっちゃけたシナリオ」を自分もこの目で確かめてみたいものです。



 まさかのアニメ化が話題の“さよなら絶望先生”は第八集でも旬の時事ネタと幅広いジャンルによる自虐ギャグが冴え渡っています。なにはともあれ、アニメ化おめでとうございます。



 サンデー本誌では今ひとつな“ハヤテのごとく!”も、こうして単行本(11巻)でまとめて読むと、それなりに面白く感じてしまうのがなんだか不思議です。



 時々視聴するアニメでなんとなく面白いなと思っていた“銀魂 1巻”をついに購入。アニメである程度予想はしていましたが、やはり掴み所のない支離滅裂な会話には戸惑いました。確かに滅茶苦茶ではあるのですが、その中に感心するような台詞もあったりと、なかなか侮れない部分があるのも確か。


 “太臓もて王サーガ”はなにかの気の迷いで去年一度だけ購入した“週刊ジャンプ”で読んでて気になっていて、“銀魂”のついでにこちらも1巻を試しに購入。下品なギャグとジャンプネタを勢いよく混ぜ合わせるとこうなる、みたいな内容で、これも“銀魂”同様面白い何かを予感させる作品ではないでしょうか。


 最後は軽いビジネス系の本の紹介。“ゆうき式 逆転発想勉強術”という代物でして、遊びに対する罪の意識を払拭させる発想法が判りやすく書かれています。「遊びは勉強をする前後のご褒美として考えることと、遊びと勉強のバランスを同じくらいにすること」が長く努力を続ける秘訣のようです。





【4月15日】
2007年不定期感想(その1)

【その他】 最近購入したものについて

 まずはゲームからいくと、やはり“逆転裁判4”でしょう。とりあえず1話のみ感想になりますが、期待以上の飛ばしまくりの超展開に惹き込まれました。古き良きアドベンチャー(“ポートピア”や“ファミコン探偵クラブ”)好きなら絶対にお勧め。



  “マリオvs.ドンキーコング 2 ミニミニ大行進!”もなかなか侮れないタイトルだと思います。ミニゲームとしてあるべき理想のバランス感覚は、任天堂ならではのお家芸といったところでしょう。



 “タイトーメモリーズ2 下巻(初回生産仕様:「タイトーメモリーズブック2 下巻」同梱)”はどうでしょう。まだ見プレイながらも、“ハレーズコメット”や“チェイスH.Q.”といった試してみたいタイトルに魅力を感じて購入するも、未だ(2007年4月15日現在)初回版が売れ残っているのが気掛かりであります。



 続いてはコミックの“らき・すた 4”は、オープニングで流れている電波ソングが話題となっているアニメが放映中ということもあって、アマゾンのランキングで4位(2007年4月15日現在)と大健闘。本作の裏表紙に記載されている「ゆる〜いネタをのんびりとしたペースで噛み砕く」一種独特の世界観は極端に賛否が割れそうですが、個人的には「こういうノリもアリ」ではないかと思っています。
 ちなみに、無料動画閲覧サイト(ニコニコ)でアニメを見ました。弾けたオープニングからうって変わって、原作のイメージをさらに膨らませすぎたまったり感は正直「どうよ」と思いつつ、「ラッキーちゃんねる」なるカオスなワンコーナーにおける腹黒さに「ちょっと面白いかも」なんて思ったりも。まあなんだかんだいって本編はグダグダ感漂いつつも、エンディングでは時代錯誤なアニメ・特撮のカラオケ、という普通では考えられないぶっ飛んだ発想もあるようですので、もう少し様子を見ておこうかと思います。





【1月1日】
“明確な拘り”の必要性

 みなさんこんにちわ。本日はゲームにおける「“明確な拘り”の必要性」について語ろうと思います。
 早速ですが、優れたゲームには往々にして、至る所に“明確な拘り”があると言われています。ちなみに、物事の本質を愉快な解釈で説明することで有名な“新明解国語辞典”で調べてみると、“拘る”とは「他人はどう評価しようが、その人にとっては意義のあることだと考え、その物事に深い思い入れをする。」とあります。これは、ゲームにとって欠かせないことではありますが、理想は「製作者の意図することが、誰に対しても簡潔明瞭に表現されている」ことではないでしょうか。
 “明確な拘り”が幅広いユーザーに認められたゲームの大半は、プレイヤーに対する配慮が隅々まで行き届いています。大衆に親しまれる“明確な拘り”を、徹底して追求しているからこそ、誰もが納得して食指を伸ばしてくれるのです。国籍年齢性別を超えて親しまれる世界設定、単純明快なストーリー(なんてあってもなくてもいい場合も)、覚える負担の少ない操作体系、などでキメ細かな調整をしていれば、少なくとも、ライトユーザーに嫌われる事態は避けられます。趣向を凝らす方針にブレがなければ、ミリオンを超える巨額な売り上げに繋がる確率も、自ずと向上するはずです。
 ユーザーにとって心地良い“明確な拘り”は、普段プレイしてて気がつくものもあれば、何度も繰り返し続けることで、ようやく味わえる代物であったりもします。そうした要素を意識して盛り込み続けることが、後に巨大な市場を形成するに至る第一歩となるでしょう。ゲームを心底楽しませる“明確な拘り”をクリエイトすることは、何よりも掛け替えのないものだと、自分は信じています。

 “明確な拘り”がはっきりしないと、発売前後の販売戦略にも迷いが生じて、大変なことになりかねません。時代の流れを読まないで、うっかりブームの波に乗せて大ヒットさせてしまった場合は、特に注意が必要です。急激な人気の上昇による需要の増加は、生産ラインを圧迫しますし、それに追いつかなければ大きな機会損失を生みます。逆にせっかくブームに合わせて供給体制が整ったとしても、ブレイクが去った後の急激な売り上げの落ち込みを想定しないと、せっかく増産したラインを無駄に遊ばせてしまいます。無理して生産を長引かせても、過剰な在庫の管理処分で莫大な経費が掛かってしまいます。事程左様に、ブームによって人気を得た商品を扱うのは、非常に難しいものです。
 偶然にしろ必然にしろ、いきなり一発目が大当たりしたとして、いざ続編を出そうと思った時、メーカーは二つの岐路に立たされます。「勢いがあるうちに次々とリリース」すれば、短期間である程度の成果が見込める傍ら、シリーズものとして尻すぼみし易い欠点もあります。これは、メディアミックス商品でよく見受けられ、原作の人気があるうちに、関連商品を矢継ぎ早に投入して、一定の利益を回収します。人気のある原作をベースにするだけで、ある程度の売り上げが予測できる一方、粗製濫造の温床になる危険もはらんでいます。
 数多の作品は時々刻々と経過するにつれて、ユーザーの熱は次第に冷め、そのうち別の誘惑に駆り立てられてしまうものです。それを知ってか知らずか、大抵のメーカーは目先の利益に囚われるあまり、人気に火が点いているうちに、続編を間髪いれずにリリースしようと躍起になります。しかし、そういう作品に限って練り込み不足が露呈して、ユーザーから反感をもたれてしまいます。このように安易な発想で製作販売をしている限り、大ヒット大作シリーズで大儲けなんて夢物語は、未来永劫訪れる道理がありません。

 それでは、「長いスパンで“明確な拘り”を熟成させてから販売」はどうでしょう。次の手を打つまでもないまま、商品価値がゼロになってしまうリスクもありますが、大勢のユーザーから厚い信頼を勝ち取れれば、後に続くシリーズで、さらに成長させられる可能性も秘めています。“明確な拘り”を意識して懇切丁寧に仕上げることはとても大切で、その姿勢が一般消費者にきちんと理解してもらえれば、作品を通してメーカーの信頼度も飛躍的に向上します。そうして、作品にブランド力が備われば、有名大作シリーズとして成功を収めることも、決して夢ではありません。
 苦労して獲得した幅広い信頼は、ブームという魔物に左右されることなく、長期に渡って売り捌けるものです。継続的に安定した売れ行きになれば「生産ラインを遊ばせることも、過剰な在庫を抱える心配もせずに済む」、という一石二鳥なメリットもあります。
 最近、ユーザーの立場になって親身に考えようとしない、傍若無人な態度のメーカーが目立つのが気になります。会社の決算ばかりを気にして、完成度はそっちのけで発売を前倒してしまう、どうしようもない粗悪なソフトの多さには、ほとほと閉口するばかりです。もっと酷いと、具体的な目的も示さぬばかりか、製品がきちんと完成したのかどうかも曖昧なまま、済し崩しのようにゲーム機を発売するという非道ぶり。こんなことをしていたら、どれだけの人達が迷惑するかを想像してほしいものです。そうやってその場凌ぎなことばかりしていれば、いずれはボロが露呈し、最後は見向きもされなくなります。それでゲーム事業から撤退する程度の火傷で済めば良いのですが、下手をすると会社の存亡すら危うくなる致命傷になりかねません。

 ゲームの歴史が積み重なるにつれて、ヘビーユーザーとライトユーザーによる感覚の溝は、益々広がり続けています。それに合わせて、メーカーはある選択を迫られます。「これまで業界を支えてくれたユーザーの意見を尊重する」ことで、より精度を高めたマニアックな内容を提供する。もしくは、「今まで見向きもしなかった未知のユーザーを取り込む」ことで、過去の栄光に縛られないゲームを生み育てる。いずれにせよ、混迷が深まる現代では、ゲーム業界も独自の路線を開拓しなければ、生き残れない厳しい時代が到来したのです。

 ゲームのハード本体による“明確な拘り”に目を向けても、会社の経営方針によって、製作理念は随分と違ってきます。ひとつは、技術向上に最大限のコストを費やして、贅の限りを尽くした映像を堪能させる“超高機能型マシン”があります。また、処理能力の高密度化を優先し、形状も極力コンパクトにすることでコストを可能な限り抑え、その分入力デバイスに趣向を凝らすことで、未体験な面白さを提供しようと画策する“遊戯特化型マシン”という手もあります。
 それぞれの長所を大雑把に説明すると、“超高機能型マシン”は「錦上花を添えるような超絶美麗映像」が、“遊戯特化型マシン”は「バーチャルリアリティーな操作で生まれるゲームとの一体感」なんかが楽しめるようになります。いずれも、儲けが出ると判ればソフトメーカーはこぞって、勝ち組となったハードから対応ソフトを、随時開発販売するはずです。

 いざ発売が目前に迫れば、大量のCM攻勢で、ハードの告知をするのが定番です。そこでCMが思うように流れないことがあれば、それはどういう可能性があるのか。都合良く解釈すれば、過去の知名度がずば抜けている正当な後継機種ならば、最低限の広告展開で経費を節約しても安定した売り上げになる、という思惑があるのでしょう。ハードとソフトのメーカーが、密かに結託して計画していたのなら大したものです。
 とはいえ、「発売日が延期されるかも」、と不安に駆られる可能性も否定できません。延びる可能性に信憑性があると判断すれば、ソフトメーカーも後で被るリスクを考慮して、新ハードと同時発売タイトルのCMを、自粛せざるをえません。多大な負債を強いる最悪のケースを想定して、被害を最小限に抑えようとするのは、当然の流れだと思います。

 では、それぞれの方向性について考えてみましょう。まず“超高機能型マシン”はどうでしょうか。最先端の映像技術を結集することで、「豪華絢爛なエンターテイメント」が楽しめる分、ゲーム機の価格は高めに設定せざるをえません。また、最高水準の画質を表示できる高性能モニターも前提として加わると、経済的なハードルの高さは一層高まります。これらの条件を満たすターゲットは、富裕層に絞り込まれます。潤沢な資金を投資することで初めて可能となる、「ゴージャスで魅力的なコンテンツ」を多数用意して、一人当たりの収益を莫大な額に膨らませます。本気で必要としている人だけに提供する「殿様商法」に徹して、客層を絞り込めるかどうかが、“超高機能型マシン”の生命線だと思います。
 ただの高級ゲーム機ではなく、「高付加価値マルチメディアマシン」として、お金持ち層に関心を持ってもらえるかどうかが、鍵となるでしょう。もちろん、従来のターゲットとしている生粋のゲームマニアも、そこに価値があると見出せば、お金に糸目はつけないはずです。もし自分が値段を設定できる立場にいれば、10万円前後の価格帯で吹っかけていたことでしょう。そうした一握りの人達から、圧倒的な支持(つまりお金)を毟り取れれば、ゲームの売り方の常識が、ひっくり返る可能性もあります。
 それだけに、大衆受けを意識して下手に価格を引き下げてしまうと、どの層に対して商売するかが、希薄になってしまいます。移ろいやすい庶民の意見なんて、所詮は自己中心的な考えに過ぎません。プロであるならしっかりとした信念を持ってないと会社の中が混乱して、二進も三進もいかなくなります。これまで以上に手間の掛かる手法で事業を立ち上げるからには、あらゆる不足の事態を想定し、細心の注意を払って計画を進めることが肝要です。
 それなのに、なんの根拠もなく独りよがりの発想で、将来実現するかどうか怪しい夢物語を語られても困ります。例えどんなに素晴らしい構想があったとしても、その説明が言語明瞭意味不明では、なんの効力も持ちえません。私が知りたいのは、「何でも実現する可能性」ではなく、「具体的にサービスを提示し、それがどのような条件で利用可能か」ということなのです。
 知った風な口ぶりで未来予想を語るだけなら、データを都合良く改竄して不安を煽る社会学者と同じです。曖昧模糊とした形にならない戯言の羅列に、一体どんな意味があるというのでしょうか。製品に絶対の自信があるなら「口は災いの元」となるような、苦し紛れのコメントを残すようなことは、一切慎むべきです。
 具体案が何もないのでしたら、一番の売り文句となる「グラフィックの美しさ」が如何に素晴らしいかを、喧伝すべきではないでしょうか。「百聞は一見にしかず」というように、生の映像を広く一般公開するだけでも、購買意欲を喚起するプロモーションになります。比類なきインパクトには、理屈抜きに納得させる魔力が備わっています。そして“超高機能型マシン”には、それだけの実力があるはずです。業界最高峰という自負があるのでしたら、それを最大限に活用しない手はないです。
 ただし「最高水準の映像をいち早く鑑賞するためなら、お金はいくらでも惜しくない」という極端な発想は、非常にマニアックな隙間産業です。技術革新はほっといても時が経てば上がりますし、その頃には競合する他社も手頃な価格で追随してきてしまいます。その前になんとしても、富裕層やゲームマニアといった、時代を先取りする人種を取り込みたいものです。ネットで追加データを課金させることを前提にして、経済効果を膨張させるシステムの構築に成功すれば、面白いことになるかもしれません。

 続いて“遊戯特化型マシン”は画像処理能力ではなく、半導体そのものの技術を駆使して、マシンに備わる能力の最適化と軽量化を図ることで、価格の上昇を抑えます。それ以外はユーザーを楽しませる為の斬新なアイデアに、全てのコストを注ぎ込みます。これまでに培った映像技術をブラッシュアップさせつつ、画期的なアイデアで創出される未体験の楽しさが、どのように受け入れられるか今から楽しみです。いくらコスト削減を声高にして、後は全て製作者の発想で勝負しようという目的意識があっても、ユーザーの嗜好にそぐわなければ、水泡に帰してしまう懸念はあります。信じていた常識に縋りたい一心に、古参のメーカーやオールドゲーマーから大きく反発されることにも、注意する必要があるでしょう。
 しかしながら、会社が一丸となって信念を貫き通すことで、“明確な拘り”を内包したゲームを創造しようとしている姿勢は、これからのゲーム業界にとって必要不可欠ではないでしょうか。過去の遺産ばかりに囚われる、業界内の呪縛は相当なものです。“遊戯特化型マシン”の登場によって「常識の風穴を抉じ開け、新たなるステップへ導く役割を果たしてくれるのではないか」、と期待を膨らませずにはいられません。
 手軽な値段で、新しい価値観のゲームを楽しませようという発想が、ツボに嵌って広く大衆に受け入れられてほしいものです。この手のアイデア系の商品は、将来登場するとは限りませんし、流行らなければ、そのまま商品諸共埋没してしまう可能性もあります。そういう危険を冒してでも、「常識に縛られない考え方で試行錯誤し、販売戦略を具体的で判りやすく整理し、徹頭徹尾したサービス精神を崩さない」企業の真摯な態度は、他のメーカーも見習ってほしいものです。“遊戯特化型マシン”に秘められた無限の可能性が、ゲーム業界に新たなムーブメントを巻き起こしそうでなりません。
 この先、世の中がどのように転ぶかなんて誰にも判らない以上、過去の経験を踏まえて対策を講じるのが筋だと思います。企業のトップは企画の段階から“明確な拘り”の地固めをして、それを会社全体に浸透させておく必要があります。「備えあれば憂いなし」とも言いますし、手順を踏んで入念に準備を進めれば、少なくとも失敗する確率は格段に減ります。

 ゲームメーカーはいろんな方法で“明確な拘り”を模索しています。ソフトにしろ、ハードにしろ、必ず固有のタイトル(名称)があり、そこにも“明確な拘り”があるものです。どこの言語にするか、「自国語か、それもと外国語か」の選択もあるでしょうし、文字の書体にも作品によって、趣向を凝らしたオリジナルのフォントを作ることもあります。覚えやすいリズミカルなフレーズもあれば、ゲームの主人公ないしそれに順ずる重要なキャラの名前をタイトルに配することで、消費者に印象づける手法もあるでしょう。
 どこぞの大学教授監修といった、本来なら必要のない冠を付けることで、無駄なまでに字数を多くしてみたり、逆にたった一文字にすることで、ユーザーに印象を残そうするケースもあるのです。作品によっては、ゲームが伝えようとしている壮大なテーマを、そのままタイトルにすることもあります。
 ゲーム画面で提示される世界観でも、デザイナーならではの“明確な拘り”があるものです。誰もが見て納得する現実に近い世界なのか、それとも全くのファンタジーで統一された不思議空間にするか。ターゲットを絞り込むにしても、狭く深くのニッチ産業なのか、もしくは広く浅く大衆受けを重視するのか、というような選択があります。前者は狙いを見誤らなければ、一定の層には確実に受け入れられます。後者は幅広い層に受け入れられるか、全く見向きもされないかのどちらかになるでしょう。

 暴力行為や性描写といった過激な表現は、度々問題になっています。この手の作品は現実で行えば間違いなく犯罪ですので、大抵の場合、“18歳未満禁止”といった処置が採られています。ただし、エロ描写の場合、発禁スレスレの微妙な表現に“拘る”ことで、一部のマニアから絶賛されることもあります。特に家庭用のゲーム機では、ストレートな描写は禁じられている以上、別の表現でオブラートに包むことで、ユーザーの想像力を刺激せざるをえません。
 この手のゲームはソフト単体ではなく、他のメディアと連携して関連商品を次々と投入しないと、思うように売り上げが伸びません。しかし、一旦マニア心を擽る魅力的なキャラクターを創出することに成功すれば、続々と投下される二次製品は、どんなものであっても飛びついてくれるものです。そうなればしめたもの。あの手この手で版権グッズを多岐に渡って販売して、骨の髄までしゃぶりつくします。

 優れたゲームの条件は時代によって、もしくは、ハードによって左右されることもあります。無知な子供時代に遊んだゲームは、作品の内容云々は関係なく、見たことのない画面を単純に楽しんでいたような気がします。同じことの繰り返しだったにも関わらず、不思議と飽きませんでした。技術的に優れていようが、欠点だらけだろうが、目の前に展開するゲームをひたすら貪っていました。高い完成度を誇っていればもちろん嬉しいですし、通常では考えられない不条理な失敗に腹を立てることがあっても、それなりに楽しんでいたように思います。
 ゲームの黎明期はソフトの完成度よりも、ハードを含めたゲームそのものに介在する、「楽しいイメージを浸透させる」ことが、最重要課題でした。世界的に有名な家族向けゲーム機が急速に普及したのも、そうした戦略が功を奏したからに他なりません。
 残念なことに、版権キャラの魅力を前面に押し出すばかりで内容はそっちのけでも、飛ぶように売れていた時代でもありました。作品の良し悪しが、インターネットで一気に広まってしまう現在では、到底考えられない現象です。今の環境で、昔のようなインチキ商売をしていたら、遠からず会社は倒産していてもおかしくありません。

 グラフィックが日進月歩で飛躍的に進化していた時代に移ると、最初にインパクトのある映像をガツンと見せつけられれば、ゲームの世界に惹き込むのは比較的容易でした。極端な話、今までにない美麗グラフィックの良し悪しが、そのままユーザーの購買意欲に直結していました。特に、3DCGによる立体的な映像が可能になってからは、コストを費やして優れたグラフィックさえ拵えれば、他の要素が多少劣っていても売れてしまう時期も確かにありました。
 現在も技術は着実に進歩しているとはいえ、素人目には以前ほどの驚きはありません。それは現世代ハードで発売されているソフトを見渡しても一緒です。「綺麗なグラフィックで描かれた世界観を、既存の遊び方をベースにしたルール作り」が、未だに大半を占めています。所謂正常進化という奴で、マニアにとっては喜ばしいことかもしれません。しかし、そうした温故知新を愛するユーザーは年々先細りし、その手のソフト需要は縮小するばかりです。
 翻って、一般ユーザーや一度ゲームからリタイアした者からは、どのように映っているでしょうか。複雑怪奇になったシステムは理解不能ですし、どんなに特殊なメイクを施し、それが過去をどれ程凌駕しようと、それだけで大衆の心を掴むのは難しくなりつつあります。つまり、現状の製作理念では限界に近づいているのです。このままでは、一般とマニアとの認識の隔たりは広がる一方ですし、その打開策が見つからなければ、ゲーム業界は衰退してしまいます。
 一般消費者というのは、えてして気まぐれで我侭です。新しい刺激があると知れば気軽に飛びつく反面、すぐに飽きて別の楽しい商品を貪る気分屋な人種でもあります。ゲームの歴史が深まるにつれ、「商品として欠陥が無くて当たり前」という認識は、ますます強まる一方です。そこからさらに跳躍するには、今までの常識に束縛されない着眼点が求められます。誰もが想像しなかった(あるいは、あっても実行しようとしなかった)アイデアを投入して、新規のユーザーを獲得するくらいの心意気は必要でしょう。

 その動きは、すでに携帯ゲーム機市場で動き出しています。刷新された入力デバイスを搭載したハードを投入し、その機能を生かした斬新なソフトがいくつも発売され、それ合わせて大規模な販売戦略を長い期間に渡って展開させ、これらが渾然一体となることで、現在も大ヒット街道を驀進しています。
 入力方式の目新しさも然ることながら、これまでゲームに関心のなかった、一般層に訴えかける広告を地道に活動してきたことも、未だにハードが品切れ状態を続けている要因の一つです。さらに、ソフトの内容がゲームの流行り廃りとは無縁ですので、時間が経過しても需要がなかなか沈みません。その為、無理に生産ラインを増減しなくて済みますし、いつまでもお店に在庫を置いてもらえる、という理想的な環境になってることも重要です。

 人の手によって創られた常識というものは、案外覆るものです。長年惑星だと定義されていても、時代の変遷で矮惑星に格下げになるくらいの大きな渦に、ゲーム業界は巻き込まれようとしています。過去の栄光に縛られるあまり、柔軟な対応に苦慮していると、取り返しのつかないことになるかもしれません。根強く残るグラフィック偏重で業界が迷走する前に、質的転換で鎬を削る流れになってほしいものです。
 とかく日本人は「寄らば大樹の陰」的な発想に固執するあまり、思考停止状態に陥りがちな傾向があります。バブル崩壊で多数の企業が倒産したのも、土地が上昇し続ける神話を、資産家や銀行が信じて疑わなかったからです。詰め込み教育の神聖化による、画一的な勉強法の確立が、受験戦争さえ勝ち抜けば人格面はどうでもいい、とする極端に歪んだ考えを助長しました。
 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というふざけた標語が示す通り、日本人は一度正しいと信じ込むと、事の真偽は関係なく、どこまでも猪突猛進してしまう性分です。これは物事が順風満帆にいってる間は問題ないのですが、一度誤った方向に向かっていても、それに気づかずに奈落の底まで転落してしまう危険もはらんでいます。常識がいつも正しいとは限りません。いきなり引っくり返ってから慌ててしまう前に、今のうちから幅広い見識のある判断能力を身に着けておくべきだと思います。

 一つの固定観念が容易に揺るがされる現代では、何か一つの考え方に凝り固まってしまうと、非常に危険な世の中になってきています。今までのように、ただ闇雲に“拘り”を誇示すれば良い訳ではありません。それはゲームの世界とて同じで、「確かな根拠を示し、具体的で“明確な拘り”を盛り込んだ提案をして」商売する気運が高まっています。
 ゲームの世界では依然として、「美麗CGの追求」を美徳とする傾向があります。それだけならいいのですが、問題は「それ以外の製作アプローチは、是が非でも認めない」、といった根性の捻じ曲がった発想にあります。物の見方が一方的に偏りすぎると、それに呼応するように、ゲーム業界も暴走を始めます。いくらCGのレベルを極限まで高めたとしても、それに見合った報酬がなければ、頑張ろうとする意欲も減退してしまいます。
 たった一つしか真実がないと無理に思い込んでしまうと、心身共に追い詰められてしまいます。身の程を弁えてあらゆる可能性を模索すれば、身分相応な解決策が見つかるものです。どんなゲームにも栄枯盛衰があり、未来永劫成長し続けるものなんて何一つありはしない。どんなに大勢のゲームクリエイターが信じていようと、それが通用し辛くなっているのなら、別の方法で“明確な拘り”を創造しようとする勇気が、今こそ必要ではないでしょうか。

 いかがでしたか。ゲームに介在する“明確な拘り”が、如何に重要であるかお解り頂けたことでしょう。不断の努力で築き上げた企業の理念を、周知に判りやすく伝えようと努力する粘り強さが、やがて“明確な拘り”を内包したゲームを生み出すのです。このことの重要性に業界全体が気づけば、同業の活性化ばかりでなく、他業種の発展にも影響をもたらし、やがては日本の明るい未来に繋がることを期待して、本日は終わりにしたいと思います。



【6月15日】
2006年不定期感想(その4)

【DVD】
AIR Vol.1〜6 IN SUMMER (TBSアニメーション)

 導入部分である1〜2話を見る限り、ありふれた日常は原作同様相変わらずのつまらなさではある。ネジの2〜3本外れたキャラ達による、調子っぱずれた会話は、ありふれた光景であることもあって、退屈に感じることが多い。しかし、原作と決定的に違うのは、無駄なやり取りをごっそり削ぎ落とし、最低限の説明に留めたことだ。加えて、妙に力の入った作画(解説を聞けばさらに理解できるかも)で、原作の情緒溢れる田舎の夏模様を完全再現することで、普通に鑑賞するに耐えうるレベルには到達している。もちろん、原作の結末を知っているが故に、どうしようもないと思える日常であっても、なんとなく儚げに感じることもあるにはある。
 遊んでて楽しそうに笑う描写の度に感じる息苦しさは、やはり、将来の夢や希望が風前の灯火だからだろう。人の不幸というか、恵まれない境遇は、いつの時代も同じということか。それが、自分にとって身につまされるような気がして、だから、息が詰まるといったような不快な気分になるのだと思う。
 時代を超えて描かれる不幸の連鎖、それはどんな努力をもってしても報われないのだとしたら、自分はどうするだろうか。全てを諦めて現状に甘んじて長寿を全うするか。それとも、例え短命であったとしても、幸せであった記憶を必死に作って生涯を閉じるか。自分だったらどうするだろうか、非常に悩んでしまう。
 制作上の都合からか、全編を通してスーパーダイジェストだったのは残念であるが、原作にあった重要と思える要素は最低限拾っていたからこそ、叶わぬ夢を必死に追いかけようともがくヒロインの姿には、素直に感動させてもらった。

 番外ともいえる“In Summer”は、本編で描ききれなかった「Summer」編の道中エピソード+αといった感じに仕上がっている。注目はやはり、ヒロインである神奈が表情豊かにはしゃぎ回るところで、その愛くるしい仕草が全てであるといっても過言ではなかろう。物凄く楽しげで活き活きと駆け回る神奈と、それを暖かく見守る二人による微笑ましい光景は、眩い位に輝いていた。


【6月5日】
2006年不定期感想(その3)

【CD】 最近までよく聴いていた洋楽アルバム

 なんといっても「チルドレン オブ ボドム」のアルバム
“ヘイト クルー デスロール”が、とてつもなく凄まじかった。スピーディーでありながらヘビーでダークネス、それでいて深みのあるメロディーが、怒涛のように押し寄せる心地よさは格別である。美しい旋律を奏でるシンセ、効果的に挿入されるオーケストラヒットの絡みのタイミングなんて、これ以上ないというくらい絶妙であった。
 「クリプトプシー」は普段あまり聴かないデスメタル系ではあるが、アルバム “ワンス  ワズ ノット”くらいのデスボーカルなら全然大丈夫。ドラムが前面に出ているからか、全編に渡って鳴り響くマシンガンドラミング(グラビティーブラスト?)の畳み掛ける破壊力は計り知れない。初めてドラムメインの曲をまともに聴いてみたが、全く違和感はないし、むしろこういうバランスもありかな、とすら思っている。
 「ダーク ムーア」はメロディックパワーメタルならではの、煌びやかで美しい旋律に酔いしれた。珍しく女性がボーカルであるが、それすらも、独特の雰囲気を醸し出すことに一役買っている。アルバムはサードもいいけど、やはり、セカンドの “ザ ホール オブ ジ オールデン ドリームス”があやゆる点に於いて、最も輝いていたように思う。
 俗にヴァイキングメタルと呼ばれる、北欧神話をベースにしたヘビメタという新たなジャンルを開拓した「エクリブリウム」のデビューアルバム “神々の紋章”も「ガツン」と来た。メロディーにリコーダー(シンセで再現)を使用することで、これまでにない新鮮な響きを提供している。ファーストアルバムだというのに、すでに高次元に至る完成度を誇っていたのだから恐るべし。
 「ナイル」はアラビアンテイストをスパイスにした、エジプト風デスメタという感じだろうか。アルバム “イン ゼア ダーケンド シュラインズ”もまた、マシンガンドラミング炸裂による悶絶メロディーは素晴らしい。




【5月15日】
2006年不定期感想(その2)

【ゲーム】 E3で発表された次世代ゲーム機
“Wii(ウィー)”と“PS3”について

 E3でようやく出揃った次世代ゲーム機、といっても揃ったのは各社のハード、ソフトに関する情報が出揃ったに過ぎない。注目すべき点は、任天堂とソニーの戦略の違いにある。そこに興味を持った自分なりの意見を書き込んでおこうと思う。
 現段階で言えば、自分は任天堂の目指す理想を支持したい。どちらが勝つかなんて、今の時点では誰にも予測出来ようはずがない。それなら、どちらの方針が優れていたかというと、やはり、任天堂が一枚も二枚も上手だった。
 “ウィー”の売りははっきりしている。革新的なコントローラーで、今までとは違う方法でゲームを操作するのが、最大の特徴である。斬新な発想にポイントを絞って提示し、グラフィックの性能云々については強調すらしなかった。何か新しい遊びを提供しようという、任天堂の真摯な姿勢は素晴らしい。
 それに、正直いってグラフィックさえ素晴らしければ、欠点も覆い隠せるという風潮が、未だに流布していることが気に食わない。確かに、最初の頃は見た目の印象が良ければ、それだけで購買意欲が出ていた。しかし、時間も経てば見飽きてくるし、実際は中身が伴わない内容の作品が多かったことで、CGのみに頼るゲーム業界の限界というものを感じるようになった。3次元CGが見慣れた今となっては、「CG技術さえ向上すれば、ゲーム自体が面白くなる」なんてあり得ない。
 すでに任天堂は、タッチスクリーンを武器に新たな操作性を可能にしたことで、”DS”は日本で圧倒的に受け入れられている。同様に、360度感知するリモコン式コントローラーで新たな操作性を生み出そうとしている“ウィー”もまた、新次元のゲームが創造される可能性としては、“DS”以上に秘めているように思う。
 一方、PS3は高性能エンジンを搭載し、より高度で美麗なCG描写が可能な点はまだいい。それより、ブルーレイビデオディスクが再生出来るところが、正直言ってあまり喜べない。値段はともかく、魅力的な専用のソフトが幅広く用意されてないのは痛い。その上、次世代再生機での争いに敗れると、ブルーレイは無用の長物に、なんて可能性もある。また、ハードディスクを標準搭載してしまったことも、大きな足枷になりはしないか。価格、本体の大きさ、いずれにしても日本向けの仕様とは大きくかけ離れている。
 とまあ、表向きいいことづくめな任天堂に対して、不安要素ばかりが噴出したソニーという図式になったが、勝負は下駄を履くまで判らない。現段階では任天堂に軍配が上がっているが、何がきっかけでひっくり返るか判ったものではない。とはいえ、最新の技術ばかりを追い求めるのではなく、豊富なアイデアが満載されたソフトを開発している任天堂の開発姿勢は、是が非でも評価したいと思っているし、今後の展開にも大きな期待をしている。




【1月1日】
2006年不定期感想(その1)

【その他】 2005年(主に年末)をあれこれと振り返る

 2005年最大の収穫はなんといっても“NANA”(矢沢あい/集英社)に尽きる。あらゆる現象に対してリアルさを感じることには共感すら抱いている。その反面、特定の好きなキャラ(嫌いなキャラも)はいないものの、“NANA”そのものの世界観は大好き。
 年末から始めている“ユメミルクスリ”もシナリオというか、思想で感心させられた。苛められっ娘の窮地を救うには「加害者の上前を撥ねるしかない」という自分の理想通りの展開にちっとばかり感動してしまった。
 これまた年末に出た“エクセル・サーガ”15巻も市街征服を具体的に、それもある意味現実的な手法でオッパジメタのに感心した。これまでがあんまりにも杜撰だっただけに、自ら企業を起こして街を制圧するという発想は結構好みだったりする。
 長年の低迷からの脱却を図ろうしているのか、大衆受けを狙おうとしていることが“スーパーユーロビート VOL.161”から感じられた。もちろん、売れてなんぼという市場原理は判ってるつもりだし、それを差し引いても、アグレッシブ系でいい曲がいくつかあった。かつて程の興奮状態にはならないものの、時折聴いてみたくなる魅力がユーロビートには未だにある。
 期待していた“M-1グランプリ2005”は、思ってたよりも盛り上がりに欠けていたかな。今大会の面子でいけば、やはり“ブラックマヨネーズ”が一歩抜きん出ていて、彼等が優勝したことに、疑問を挟む余地はない。ただ、優勝した“ブラックマヨネーズ”も含め、今大会は全体的に新鮮味が足りなかったように思う。単純なしゃべくり漫才ばかりが目立ち、予想もつかない芝居によって醸し出される驚きの漫才は、決勝も最終決戦も残念ながらなかった。今年が偶々だったのかもしれないが、もしかしたら、お笑いブームにも陰りが出て来たのやもしれない。
 最後は、なんやかんやと取り沙汰されつつも楽しませてもらった“機動戦士ガンダムSEEDデスティニー”について。あらゆる演出で「Z」を彷彿させるのが気になるが、デュランダルが引き起こした策略に周りが踊らされたストーリー自体は秀逸だった。もっとも、バンクで時間を埋めるという姑息な手を使うくらいなら、彼がどのように暗躍していたかの説明を入れていたら、個人的な評価はさらに上積みされていたことだろう。