K Episode 4 : Run Again

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第四話 Run Again

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黒猫は走っていた。
「こうやってハシるのはいつイライかな・・・?」
その黒猫の名は『ホーリーナイト』という。
ホーリーナイトという珍奇な名の名付け親は、ある絵描きの青年だった。
「あのヨル・・・イライかな?」
名付け親の青年はもう・・・この世にいない。
ホーリーナイトはその青年が死ぬ間際に書いた、故郷の恋人宛への手紙を口に銜えて走っていた。
「ヤクソクは・・・ゼッタイにハたすから、そっちでミマモっててくれよ、な?」
ホーリーナイトはついさきほどから険しい山道に差し掛かっていた。
知らぬ間に、辺りは銀色が見渡す限り広がっていた。

昔はあんなに慣れていた野宿も、青年の家から出発して一日目の夜はなかなか寝付けなかった。
餌の獲り方においても、他の猫の縄張りを無視してごみを漁ってしまったため、縄張りを統治している猫の集団に襲いかかられてしまった。
なんとか無事に逃げ切れたが、餌には辿り着けなかった。
結局、野良生活の感覚が戻ってきたのは三日目になる頃だった。
その頃には既に都会を抜け出し、山の中へと入っていた。
野良の感覚が戻ってきたところで、都会とは違う山の中ではあまり役には立たなかった。
延々続くのではなかろうか、と思わせる程の長い坂道。
これに挑み始めて丸一日が経過していた。
走っては歩き、走っては歩きの繰り返しで頂上を目指すものの、一向に頂上が見えず何度も挫折しそうになった。
しかし、その度にホーリーナイトは自分の口に銜えている手紙を思い出し、自らを奮い立たせて危機を凌いできた。
「オレはヤクソクしたんだ。 アイツのコイビトにこのテガミをトドけるって・・・!」
・・・一体何回自分にこう言い聞かせただろうか?
ホーリーナイトは容赦なく襲い掛かる空腹よりも青年との約束のことで頭が一杯だった。
「・・・ズイブンとノボったよなぁ。 チョウジョウはまだなのかな・・・」
山の高さと比例するように、地面に残る雪が段々と目立ち始めた。
雪は今は降っていないのだが、前日までに降った残り雪だろう。
「ユキだ・・・。 そうイえば、アイツがタオれたのもユキのヒだったな・・・」
ホーリーナイトは雪があまり好きではなかった。
辛い時にはいつも雪が付き纏っているような気がした。
それはまるで自分と相反する真っ白の雪を自ら拒んでいるようにも見えた。
辺りが暗くなり、三日目も暮れかかっていた。
その時、雪を毛嫌いしているホーリーナイトに追い討ちをかけるが如く、真っ白な雪が静かに降り始めた。
今夜はかなり冷え込みそうだ。

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四日目の朝は寒さに叩き起こされた。
運良く、農具を置いてある倉庫らしきものを見つけ、そこの屋根の下で寝たのが命拾いした。
外は昨晩断続的に降り続いた雪が深く深く積もっていた。
外で野宿していたら・・・おそらく死んでいただろう。
人も住んでいないこんな山奥で、見た目はちっぽけでも大きな役割を果たした農具倉庫を見つけたことは奇跡に値するかもしれない。
ホーリーナイトは恐れと寒さのせいでぶるぶると身震いを一つ二つし、いつものように背伸びをして一日の活動を開始した。
地面に置いておいた手紙を銜え上げ、自らの命を守ってくれた農具倉庫に一つぺこりと頭を下げ、そこを後にした。

雪は思った以上に深く、走ることはおろか、歩くことさえ困難な状況だった。
それでも一歩一歩前へと進んで行った。
辺りを見回すと、見渡す限り白一色だった。
世界が白い絵の具で塗り潰されたような、そんな感覚に陥った。
自分の身体さえ白く染められそうで、恐怖を感じた。
白い雪の中をもがいて進む黒猫を見たら、大抵の人間は違和感を感じただろう。
それだけホーリーナイトはその景色に相応しくなかった。
自分の足の感覚は雪の冷たさの所為で殆ど無くなっていた。
地面に足を付けているのかさえ分からなくなった。
ホーリーナイトは、もしかしたらもう自分は天国に来ていて、この足元の白いものは雲なんじゃなかろうか?とさえ思い始めていた。
「・・・ココがテンゴクならばアイツにアえるハズなんだけどな」
と、自分で言ってみて、苦笑いした。
しかし、自分の口に銜えているものを思い出し、力強く、足を進めて行った。
自分は雪に埋まりながらも、手紙は地面の雪がかからないように若干上を向いて歩いていた。
――頂上が見えてきた。

五日目の朝は山の頂上付近のロッジで迎えた。
登山客用の宿泊施設として設けられたこの建物には暖房設備が整っており、久々に暖かい朝を迎えられた。
例の如く、背伸びをして、ロッジを出発した。
後は、山を下るのみだ。
三日ぶりの太陽が顔を覗かせていた。

- 3 -

雪の中、ホーリーナイトは下り坂を快調に飛ばしていた。
普通に走ることは出来ず、坂道を雪のクッションを使い、転げるような格好で距離を稼いでいた。
銜えている手紙は一度として汚れることは無かった。
ホーリーナイトは自らを犠牲にして手紙を死守していた。
・・・そんなホーリーナイトの眼に前方にある小さな山村が映った。
ホーリーナイトは以前、青年の故郷はまだまだ先の山の麓にあると聞いていたので、目的地はこの山村ではないことは知っていた。
「お? あそこにはニンゲンがスんでるのかな? タべモノ・・・ワけてくれないかな・・・」
青年と暮らした一年が無ければこのように考えることは無かっただろう。
この微かな希望を抱き、山村へと入って行った。

その山村はアスファルトの道路が無く、まさに陸の孤島と呼ばれるような場所だった。
辛うじて電気は通っており、木製の電信柱が村のあちこちに点在していた。
村人の大半は農業を営んでおり、自給自足の生活を送っていた。
そこにいるだけでタイムスリップを体験しているような山村に一匹の黒猫、ホーリーナイトが辿り着いた。
村の子供達は学校が終業時間を過ぎ、雪合戦をして遊んでいた。
遊んでいた一人の少年が黒猫の姿に気付いた。
少年は黒猫に気を取られていたため、敵の投げた雪玉が頭に直撃した。
しかし少年はそんなことにはお構い無しといった感じで黒猫を見ていた。
「いぇ〜い! 俺たちの勝ちィ〜!」
少年がやられたため、敵のチームが勝利した。
向こう側で敵のチームが勝利の喜びに浸っていた。
少年の不注意の所為で負けてしまったチームの仲間が少年のもとへと駆け寄ってきた。
「おい! お前の所為で負けちまったじゃんかよ!」
「あれくらい避けろよ、ノロマ!」
「ドジだなぁ・・・。 お前、次失敗したら仲間に入れてやんないからな!」
少年は次々に文句を言われた。
しかし、少年は黒猫の方をずっと見ており、文句などは耳に入っていなかった。
「おい! 分かってんのか? ずっとあっちの方ばっかり見てさ。 ・・・あっちの方に何かあるのか?」
「ん・・・。 あれ・・・。」
と言って、少年は指差した。
その方向には、こちらに向かって歩いてくる黒猫の姿があった。
敵のチームもこちらの様子の異変に気付き、近寄って来た。
「何だ何だ? どうしたんだよ。 あっちに何かあるのか?」
「ん? あぁ、こいつがな、あっちばっかり見てるから何があるのかな、って思って見てみたら・・・ほら」
「黒猫・・・か?」
「あぁ。 何か気味悪いだろ?」
「確かに・・・気味悪いな。 雪積もってるのに一つだけ黒いんだもん」
「黒い猫ってさ、縁起悪いじゃん? ・・・もしかして『悪魔の使者』かもよ? きしし」
「『悪魔の使者』ァ? 縁起でもないこと言うなよな」
「『悪魔の使者を見た者は不幸になる』・・・とかっていうジンクスがあったりして」
「もう! やめろよ! 怖いじゃんか!」
子供達は口々に勝手なことを言いまくった。
「あ・・・あの・・・」
第一発見者の少年は、「あの猫お腹空いてるみたいだし、ご飯食べさせてあげようよ」と言いたかったのだが、「お前は『悪魔の使者』の使者か!」と言われていじめられそうだったので、その言葉を呑み込んだ。
その時、誰かが黒猫目掛けて石を投げた。
すると、連鎖的に、皆が真似を始めた。
「悪魔の使者はとっとと帰れ!」
「こっちに来るな! 化け物め!」
口々にそんな言葉を浴びせ、黒猫に石を投げ続けた。
黒猫は走って逃げて行った。
「やーい! お前なんか全然怖くないもんねー」
「もう二度と来るなー」
子供達は勝利の喜びに浸っていた。

山村に足を踏み入れたホーリーナイトは、とりあえずくんくんと匂いを嗅いでみて、食べ物がありそうな方角へと進んで行った。
ホーリーナイトの嗅覚は犬並みには鋭くないが、人間よりも遥かに発達していた。
何かに誘われるようにふらふらと、雪で覆われた道なき道を歩んで行った。
山村に入って数十分が経過した頃、ホーリーナイトの正面に人間の群れが見えてきた。
その人間の群れは雪を掌で丸めて相手に向かって投げ合っていた。
ホーリーナイトはこの群れに攻撃されやしないかと一瞬躊躇したが、食欲には勝てず、食べ物の匂いにつられて思い切って行ってみることにした。
そこは学校で、ホーリーナイトが感じた食べ物の匂いというのは、その日出された給食の残りだったのだろう。
腹を満たせば元気が出る、元気が出れば青年の故郷へ行ける、これがホーリーナイトの考えだった。
何としてでも約束を果たさねば・・・。
段々と人間の群れに近付いて行った。
その奥から食べ物の匂いがする。
久々の食事まであと少し・・・。
その時、人間の群れの一人がこっちに気付いた。
すると、他の人間たちも徐々に気付き始めた。
もう、その時には雪は飛び交っていなかった。
ホーリーナイトの鍵尻尾はぴん、と真っ直ぐ水平に伸びていた。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
何やら人間たちが喋っているが、ホーリーナイト自らが雪を踏んでいる足音でよく聞こえなかった。
遠くから見たら分からなかったが、どうやら人間は全員子供らしい。
・・・その時、ホーリーナイトが最も恐れていたことが起きた。

石を投げられた。

ホーリーナイトはびっくりして飛び退くようにしてその石を避けた。
しかし、石は一個だけではなかった。
次々と投げ掛けられた。
「見ろよ、悪魔の使者だ!」
風向きが変わって、その声だけがホーリーナイトの耳に届いた。
その声を聞きつけた子供たちが大勢集まって、その子供たちも石を投げ始めた。
「アクマの・・・シシャ・・・?」
投げられた石はほとんど避けたが、一個だけ左の前足に直撃した。
その痛みにホーリーナイトの顔が歪んだ。
ここにいてはならないと、危険を察知したホーリーナイトはUターンして来た道を引き返して逃げた。
子供たちは皆、悪魔の使者を追い払った勇者のように勝ち誇った顔をしていた。

- 4 -

「アクマの・・・シシャ・・・」
ホーリーナイトは自分の心の中で何度もその言葉を反芻していた。
今まで散々悪口を言われてきたホーリーナイトでも、ショックを隠しきれない様子だった。
悪口には慣れているはずだった。
しかし、青年との暮らしでその慣れも忘れていたのだった。
青年のお陰で人間を少しは信用するようになったホーリーナイトだが、この言葉を浴びせられて、自分の心は揺れ動いていた。
五日目もとっくに日が暮れていた。
ホーリーナイトは何時の間にか山村の外れにある泉へと辿り着いた。
今日は満月だった。
満月が風で揺らぐ水面にゆらゆらと映って幻想的な世界へと誘われるような情景だった。
ホーリーナイトは満月と一緒に水面に映ったものに目を移した。
そこには絵描きの青年が故郷の恋人宛に書いた手紙を銜えた黒猫の姿があった。
・・・そうだ。
約束をしていた。
青年と天国で再び会うためにはこの約束を果たさなければならない。
「ごめんよ、イマ、オレ、アキラめようとしてたよ・・・」
そう言うと、再び水面に映る満月を見ながら軽くウインクをして、
「もう、アキラめようとオモわないからさ、そっちでマっててくれよな」
と言って、その泉を後にした。

「アクマの・・・シシャ・・・か」
ホーリーナイトはまたその言葉を口にしていた。
しかし、今度は引き締まった顔をしている。
「ナンとでもヨぶがいいさ」
眼光が一段と鋭くなった。
どんな猛獣でさえ、今のホーリーナイトの目を見ると尻尾を巻いて逃げ出したくなるような、そんな鋭い目をしていた。
「オレには・・・キえないナマエがあるから」
消えない名前・・・そう、絵描きの青年が付けてくれた『ホーリーナイト』という名。
生きる気力を失いかけた野良猫を『聖なる夜』と呼んでくれた。
今まで知ることが出来なかった優しさも、今まで経験することが出来なかった温もりも、全て詰め込んで呼んでくれた。
「・・・アリガトウ」
一年前まではこの言葉の意味すら分からなかった。
それが・・・今、素直に言える。
「イみキラわれたオレにも、イミがあるとするならば・・・」
もう迷いはない。
ホーリーナイトの意志は固かった。
「このヒのタメにウまれてキたんだろうな」
自分の人生・・・死んでもいいと思った人生。
でも、アンタから人生ということについて教えられたような気がする。
・・・今度はアンタに恩返しする番だ。
「・・・どこまでもハシるよ!」
黒猫は深い森の中へと消えて行った。

To be continued...


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Episode 5 : Holy night