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よねかわ ふみこ

米川文子

よねかわ ふみこ

1894.6.15(明治27)〜 1995.5.31(平成7)

明治・大正・昭和・平成期の箏曲家(生田流)、人間国宝

埋葬場所: 13区 1種 26側 1番

 岡山県上房郡高梁町(高梁市)出身。質屋を営んでいた父の米川常太郎、母の利喜の末子として生まれる。 異母長姉に箏曲家の米川暉寿(てるじゅ)。兄に箏曲家の米川親敏(米川琴翁)、ロシア文学者の米川正夫(7-2-8)がいる。
 箏曲一家に生まれ、幼い頃から箏を姉の暉寿に学び、9歳にして筝曲の免許皆伝となり、伝授書を受ける。 菊原琴治らに師事し、古典を求めて各地の師匠をたずねた。1905(M38)上京して三味線を小井出といに学ぶ。山脇高女卒業。 '14(T3)20歳で独立し教授するようになる。'28(S3)箏曲演奏団〈双調会〉を主宰、地歩を固めて生田流家元となる。
 '31福田喜久子、木谷寿恵とともに生田流の古典研究を目的とした<虹輪会>を結成し、第1回演奏会を催す。 同年、三弦の免許皆伝となり、豊賀名誉大勾当梅琴から伝授書を受ける。'35第1回地唄舞研究会を開催、関西の芸である地唄を東京に広めた。 '37兄の清の長女である米川操(のちの二代目米川文子)を内弟子にする。'40大日本三曲協会創立にともない理事に就任、'44改組した三曲協会でも理事を務めた。 '42五月女(米川)文志津を内弟子とした。'50第1回邦楽コンクールの審査員をつとめる。'58〜'70日本三曲協会副会長(6期)。'60、'62、'63芸術祭奨励賞受賞。 '64芸術祭賞受賞。'65紫綬褒章受章。'66〜'84「初春のしらべ」(山陽テレビ)に毎年出演。'66(S41)重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。 同年、岡山県高梁市名誉市民に推戴。'67勲四等瑞宝章受章。'69第20回放送文化賞(日本放送協会)受賞。 '70〜'81日本三曲協会会長に就任し、'76「学校音楽普及の会」を発足し学校教育での三曲の普及に尽力。 '73岡山県高梁市図書館に米川文子記念文庫を設置し、毎年図書を寄贈。'74初代生田流協会会長就任。
 '77第10回三木記念賞「文化部門」受賞。同年「筝曲の伝統を守る会」結成披露会を上原真佐喜(22-1-73 2代目)と主催した。 '78生田流協会会長辞任、名誉会長。'78日本芸術院会員。'81勲三等宝冠章受章、文化功労者として顕彰。同年日本三曲協会会長辞任、名誉会長。 急性胆のう炎のため逝去。享年101歳の大往生。著書に『生田流筝曲楽譜』(1954)。 LP:『筝曲手事集』(日本コロンビア 1959)、『地唄舞選集(その1)、(その2)』(東芝 1961)、『米川文子全集-検校を訪ねて』(ソニー 1973)、『米川文子全集-第2集第1巻、第2巻』(ソニー 1975、1977)、『芸術院会員・人間国宝 米川文子の芸術』(東芝EMI 1979)。 CD:『白寿記念、米川文子全集』(ソニー 1992)。

<コンサイス日本人名事典>
<米川文子 人と芸>


墓誌

*1954米川操(現・2代目 米川文子)および五月女ハマ(芸名、文志津・故人)を養子として縁組している。

*1962岡本かの子文学碑建碑除幕式のために「老妓抄」(岡本かの子作歌・米川文子撰。筝高低合奏による歌曲)を、大貫文加寿(岡本かの子の姪)の依頼で作曲した。

*墓石正面は「米川文子之墓」。戒名は宝華院釈妙文。


2代目 米川文子
1926.8.20(大正15)〜ご健在
昭和・平成期の箏曲家(生田流)、人間国宝
 岡山県出身。初代米川文子の兄の清の長女として生まれる。本名は米川操。 初代米川文子の養子。幼少期は神戸で過ごす。
 1939(S14)初代米川文子に師事。'50第1回邦楽コンクールに於いて文部大臣賞受賞。'70生田流協会理事、'74社団法人日本三曲協会理事に就任した。 '67、'76、'80御前演奏の栄に浴し、'88豪州にて開かれた世界音楽教育国際会議(ISМE)にて参加演奏を行った。 '93(H5)芸術選奨文部大臣賞受賞、'94紫綬褒章受章。'99「米川文子」を襲名し2代目となる。2000勲四等宝冠章受章。 2003 社団法人日本三曲協会会長。2008重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。 現在は、くらしき作陽大学教授、NHK文化センター講師、日本芸術文化振興会新人歌舞伎養成課講師など教育者として活動している。


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