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よねかわ ふみしづ

米川文志津

よねかわ ふみしづ

1925(大正14)〜 2004.2.15(平成16)

昭和・平成期の箏曲家

埋葬場所: 13区 1種 26側 1番

 栃木県出身。本名は米川ハマ。旧名は五月女ハマ。芸名を文志津。
 1942(S17)箏曲家で人間国宝となった初代 米川文子(同墓)の内弟子になる。'54.12(S29)初代 米川文子の養子となり縁組した。この時に、米川操(2代目 米川文子)も一緒に養子(文志津が姉、操が妹)となった。
 替手式箏曲(生田流)の箏曲家として、多くの邦楽公演を行った。日本三曲協会常任理事。心不全のため東京都大田区の病院で逝去。享年79歳。没6日後の2月21日築地本願寺で葬儀と告別式が執り行われた。葬儀委員長は日本三曲協会副会長の中島靖子、喪主は箏曲家で日本三曲協会会長、戸籍上の妹の2代目米川文子が務めた。

<訃報記事>


墓誌

*墓石は「米川文子之墓」、初代米川文子の碑の隣に墓誌があり、俗名を米川ハマ、芸名は文志津、戒名は浄鏡院釋妙志と刻む。


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