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やまもと じょうたろう

山本条太郎

やまもと じょうたろう

1867.11.6(慶應3.10.11)〜 1936.3.25(昭和11)

明治・大正・昭和期の政治家、実業家

埋葬場所: 11区 1種 1側 3番

 越前国福井城下(福井県福井市)出身。福井藩士・山本条悦の長男として生まれる。母 みつ は渡辺謙三(吉田茂の養父)の姉である。1872(M5)松平家の家臣として一家で上京。母 みつ が亡くなると、翌年に後妻の てる を迎え入れた。
 共立学校(開成中学)卒業後、三井物産横浜支店に丁稚奉公に出され、1年程で東京本店に異動となって米係りになった。しかし穀物相場に手を出した事がバレ、船の事務員に左遷される。船員は英国人と中国人で日本人は条太郎だけであった。英国人船長に付いたことで英会話を習得。
 その後、上海支店に常駐勤務し、1884(M17)上海支店副支配人を経て、支店長代理になると、日清戦争の間際まで上海に留まり軍用品の売買や偵察を行った。上海紡績会社の支配人を歴任後、1897本店の綿花部長や大阪支店副支配人、関連会社の重役を経て、1900本部参事長となって改革を試みるも、'01再び上海へと異動となった。その上海では、商務印書館と日本の金港堂の合併に関わり在華紡績を確立するなど尽力した。
 情報収集のプロフェッショナルとしての異名も持ち、香港、シンガポール、サイゴンなど東南アジア情報網が強く、戦争時には商社の持つ情報ルートを活用し、懐柔の手を伸ばし情報を集め、海軍当局に電報で伝えたという。特に日露戦争時のバルチック艦隊の対馬海峡通過の可能性をいち早く判断できたのも、条太郎が発した先方に負うところが大きかったという。また、商売の要諦は人材教育にある重要性を説き、結局は人間関係に収斂するを基本に人材教育を行った。社員に語学研修を取り入れ、中国で商売をする時には中国人の文化や心理を学ぶ必要を訴えた。
 '08本社理事に栄進。孫文の要求に応じ300万円の借款を供与するなど中国政策に関与した。翌年に常務取締役に就任。'14(T3)戦艦輸入に関する贈賄「シーメンス事件」に連座し、引退を余儀なくされ辞職した。その後、北陸電化(株)の設立や鉱山経営、朝鮮紡績(株)・日本水力(株)・山下汽船(株)等の共同設立、森永製菓と乳業の取締役、東京地下鉄道の設立委員などを務めた。
 '20第14回衆議院議員総選挙に福井県第1区に立憲政友会から出馬して当選(以降4回当選)。'23政友会臨時政務調査会副会長、'24行政整理特別委員長をへて、'27(S2)田中義一(6-1-16-14)内閣の外務政務次官を務め、また幹事長となり政友会内で中心的地位に立った。同年南満州鉄道総裁('27.7.19-'29.6.20は満鉄社長、'29.6.20-同.8.14は総裁職が復活したため役職変更)となり、満州(中国東北地方)への経済進出や東方会議に大きな役割を果たし「満鉄中興の祖」とも称された。しかし、'28張作霖と満蒙五鉄道建設を協定し満蒙問題解決を図ったが張作霖爆殺事件で挫折し、田中内閣総辞職に伴い満鉄総裁を辞任。挙国一致内閣運動を推進した。'35貴族院議員に勅選された。享年68歳。

<コンサイス日本人名事典>
<日本大百科全書(小学館)>
<「山本条太郎伝記」山本条太郎伝記編纂会>


山本家墓所・石柱
山本家墓所 中央の墓石

*墓所入口に「山本家墓所」と石柱が建つ。右に山本家の五輪塔、真ん中に条太郎と妻のミサヲの戒名が前面に刻む和型墓石が建つ。右面は条太郎の没年月日と俗名、左面は妻のミサヲの没年月日(S29.9.5歿)と俗名。裏面は「昭和十二年三月 山本武太郎 建之 増上寺 主 清譽 書」と刻む。左に「山本条太郎」という名、家紋、生没年月日の墓誌が建つ。墓誌の裏面は妻のミサヲ、長男の武太郎、その妻の芳子の戒名、没年月日、俗名、行年が刻む。

山本条太郎胸像碑:全景

*多磨霊園のバス通り添いに「山本条太郎胸像碑」(11区1種2側と9側のバス通りに面した角地)の記念碑が建つ。

*1898.6(M31)金港堂の原亮三郎の3女のミサヲ(漢字表記は操子と記述されているのが多いが、墓誌には「ミサヲ」と刻む)と結婚。長男・武太郎(1957.8.17歿)を儲ける。また、1908(M41)山本家の家督を弟の山本章雄に譲り自らは分家した。

* 1914(T3)ドイツの シーメンス社の行った日本海軍高官への贈賄事件こと「シーメンス事件」という。詳しくは、齋藤實の頁に詳しい。斎藤實(7-1-2-16)が海軍大臣であった第2次桂内閣で巡洋艦「金剛」の発注をめぐる収賄が暴露されたことにより当時の艦政本部長の汚職事実が判明した。裁判官としてこの事件を担当したのは中川一介(2-1-3-1)で、軍法会議の海軍側の判士長を務めたのは片岡七郎(12-2-7-1)。



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