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わたなべ きじゅうろう

渡邊祺十郎

わたなべ きじゅうろう

1859(安政6)〜 1934(昭和9)

明治期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 2区 1種 6側

 陸奥国(福島県相馬市)出身。勤王思想の教育家で僧の慈隆(じりゅう)が開いた静慮庵(金蔵院・愛宕学舎)という学塾で学ぶ。相馬中村藩士であったが維新とともに、12歳の頃に単身東京に出て、1874.10 (M7)苦労して兵学寮に入り、1876.3 少尉試補、1877.5.5 陸軍少尉に任官。同期に一戸兵衛(後の大将:7-1-13-9)らがいた。
 1901.5.23(M34)歩兵第12連隊長、'02.6.21戸山学校長を歴任し、同.12.7 大佐に昇進。'03.7.2 歩兵第2連隊長に着任し、日露戦争に出征して、旅順攻囲戦などで活躍。'05.5.4 歩兵第55連隊長、同.7.17 初代 歩兵第58連隊長を経て、'06.7.6 少将に累進し、歩兵第31旅団長、'07.11.13 歩兵第34旅団長親補された。'10.11.30 中将に昇格し、予備役に編入。
 大正時代は『歩兵第五聯隊歴史』などの著書を刊行し、また在郷軍人協会として恩給法の改正などに取り組んだ。正5位 勲3等 功3級。

<帝国陸軍将軍総覧など>


墓誌

*墓石正面「安らかに」。右側に墓誌がある。渡邊祺十郎には陸軍中将と刻む。祺十郎の妻は以知(1864-1944)、長男の渡邊節(1884-1967)には建築家と刻む。節の妻は貞(1893-1976)。他に悟(1900-1930)も眠る。祺十郎の子・節の弟の渡邉舒(2-1-13)は耳鼻咽喉科学者。祺十郎の孫・節の甥・渡邉舒の長男は音楽評論家の渡邉護(2-1-13)。 渡邉舒や渡邉護が眠る同墓所は、ノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊(1926.9.19-2020-11.12)の父で陸軍大佐の小柴俊男(2-1-13)ら、小柴家の一族も眠る。

※渡邊祺十郎・節の「わたなべ」の漢字は「渡邊」と刻み、渡邉舒・護の「わたなべ」の漢字は「渡邉」と刻む。


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