東京出身。父方祖父は陸軍中将の渡邊祺十郎(2-1-6)。父は耳鼻咽喉科学者の渡邉舒(同墓)の長男として生まれる。父方伯父に建築家の渡邊節(2-1-6)。
1938(S13)東京帝国大学美学科卒業。'39 ドイツに渡り、'42 ウィーン大学卒業し、ブルガリアのソフィア大学講師をしていたが、'44 第二次世界大戦の戦火を避けスイスに滞在、'46 戦後、米国をへて帰国。
帰国後は、武蔵野音楽大学教授、'65 東京大学文学部美学美術史学科助教授を経て、'69 教授となる。'76 停年退官し、東京大学名誉教授。その後、在西ドイツ日本大使館公使、ケルン日本文化会館長を歴任。'82 帰国し、大阪音楽大学教授。'94(H5)退職し、晩年は英国に移住した。
多くの賞を受賞しており、'53『現代演奏家事典』で毎日出版文化賞受賞。'78 オーストリアザルツブルク州大十字勲章。'83 西ドイツ大功労十字勲章受章。'89(H1)『ウィーン音楽文化史』で第4回京都音楽賞研究・評論部門賞受賞。著書に『モーツァルトの歌劇』『音楽美の構造』『リヒャルト・ワーグナー』など多数。1990年代にはヨーロッパ各地の音楽祭をレポートした。
*渡邉幸三は渡邉舒の3男。譲の弟。慶応大学経済学部在学中に志願して海軍兵科三期予備学生に入る。大学ではヨット部に在籍していた。水雷学校第一期魚雷艇学生として艇長訓練を終え、必死必中の新兵器要員の募集に応えて水中特攻部隊の第一特別基地隊附となった。海軍少尉任官。'44.11.20(S19)第一次回天作戦菊水隊の一員として伊号第47潜水艦に乗込み大津島を出撃。ウルシー環礁で敵泊地内攻撃にて戦死。行年23才。ガソリンと重油を満載した艦隊随伴タンカー「ミシシネワ」の爆発沈没は同隊が挙げた戦果とされる。菊水隊で散華された搭乗員達は連合艦隊告示をもって、武人の亀鑑として全軍に布告され、二階級特進の栄誉を受けた。最終階級は海軍大尉。回天とは人間魚雷のことである。遺詠『身はたとひ 敵艦橋に砕くとも 御国安かれ 兵われは』
*渡邉イルゼ(1995.6.9歿・72才)は渡邉護の妻。出身はルーマニア。旧姓はヴェツェル。スイスで勉強している時に、戦時中にスイスに疎開していた渡邉護と出会い結婚。日本ではヨーロッパ伝統の編み物を教える先生として活動。また、編物作家として多くの著書を刊行した。代表作に『毛糸あみもの全集』などがある。
護とイルゼの長男の渡辺俊夫(1945-)は美術史学者。上智大学卒業、バーゼル大学で博士号取得。ロンドン芸術大学(UAL)チェルシー・カレッジ教授の後、セインズベリー日本藝術研究所教授。英国美術史学会会長、テート・ブリテン評議員等を歴任。2004 ロンドン芸術大学(UAL)に Research Centre for Transnational Art, Identity and Nation (TrAIN)を設立。渡辺俊夫の妻は、ヘレン・ワタナベ・オケリー(Helen Watanabe O'Kelly:1948.6.2-)は、オックスフォード大学エクセターカレッジ学長。ヨーロッパ近代宮廷史家。WiGSの創設者。妻の父は考古学者のマイケル・J・オケリー(1915-1982)。
|