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とよだ とよきち

豊田豊吉

とよだ とよきち

1890(明治23)〜 1943.11.11(昭和18)

大正・昭和期の政治家、著述家

埋葬場所: 12区 1種 7側

 茨城県出身。1917(T6)早稲田大学商科卒業。貿易会社であるラサ島燐礦(りんこう)株式会社の社員を経て、中華企業の参与となり、のち著述業に従事。
 1932(S7)第18回衆議院議員選挙(茨城県第1区)で初当選(以後4期当選)。翼参政治会に属す。'37阿部内閣の大蔵参与官、'40.6.19〜'42.8.3東京市助役を務めた(市長は大久保留次郎)。 他に大蔵省委員、大政翼賛会東京市部参与となる。第30回列国議会同盟会議(イスタンブール)に参列。また派遣軍慰問のため満州に派遣される。 著書に『対支懸案の真相』がある。議員在職中に病を患い逝去。享年53歳。

<政治家人名辞典など>


*墓石は和型「豊田家之墓」。左側に墓誌があり、「正五位 勲三等 衆議院議員 東京市助役 豊田豊吉」と刻み、戒名は豊徳院佛海暁潮居士。妻は和歌子。


【多磨霊園に眠る東京市助役】
 第3代尾崎行雄と第4代阪谷芳郎の助役を務めた田川大吉郎(23-1-12-13)〔在任:M41.10.2-T3.10.2〕。第7代後藤新平の助役を務めた池田宏(2-1-2-5)と前田多門(16-1-3-7)〔共に在任:T9.12.25-T12.6.8〕。第9代中村是公の助役を務めた岡田忠彦(15-1-1)〔在任:T13.10.13-T15.7.16〕。そして、豊田豊吉が第18代大久保留次郎市長の時に助役〔在任:S15.6.19-S17.8.3〕になっている。なお、歴代の東京市長で多磨霊園に墓所があるのは第16代小橋一太(16-1-2-2)〔在任:S12.6.28-S14.4.14)である。


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