旧白鳥本町出身。大川中学校(現三本松高校)卒。海兵51期。海大33期。 常に主席を譲らず、海軍生活のエリートコースを歩んだ。海軍部内では、日露戦争の日本海海戦を勝利に導いた秋山眞之についた。 ミッドウェー海戦後、連合艦隊航空参謀となり自ら「い号」作戦を模索したが戦果を得ることなく、ブーゲンビル島ブイン上空で山本五十六(7-1-特-2)長官と共に殉じた。勲二等。享年40歳。 没後、中佐から大佐に昇進。当時の海軍首脳部は戦局の劣勢が国民に知られることを恐れ、山本長官の偉大さをひたすら強調することによって戦意の高揚をはかろうとしたため、同行していた参謀たちの死を公表しなかった。 そのため、戦後の海軍戦史に樋端の名が出ることはほとんどなかった。 1992(H4)海兵78期の衣川宏氏著作の「ブーゲンビリアの花」(原書房)が出版され樋端の名が世に知られるようになった。
山本五十六