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さねまつ ゆずる

実松 譲

さねまつ ゆずる

1902.11.20(明治35)〜 1996.12.20(平成8)

昭和期の海軍軍人(大佐)、戦史研究家

埋葬場所: 4区 1種 25側

 佐賀県出身。1923(T12)海軍兵学校卒業(51期)。同期に樋端久利雄(後に大佐:12-1-33)らがいる。少尉候補生での遠洋航海で艦長の米内光政大佐と初めて会う。 その後、五十鈴航海長などを経て、米内首相時代に海軍省副官兼大臣秘書官。太平洋戦争開戦(真珠湾攻撃)の時は、在米日本大使館海軍武官補佐官としてワシントン駐在。 のち大本営海軍参謀兼海大教官を歴任。終戦後、軍司令部部員として海軍大船仮俘虜収容所(神奈川県大船町)に収容され、禁錮40年の判決を受けるも、後釈放され、戦後は主に戦史研究家として戦記や伝記の執筆活動を行った。
 編著に『海軍大将米内光政覚書』『太平洋戦争』、著書に 『新版米内光政』『提督吉田善吾』『真珠湾までの365日』『あゝ日本海軍〈上・下〉』『日本海軍英傑伝』『海軍人造り教育』など多数、訳書に『潰滅』 『逆転』、共訳に『ニミッツの太平洋海戦史』など。 司馬遼太郎が「坂の上の雲」を執筆する際、海軍についてのよきアドバイザーでもあった

<森光俊様より情報提供>


 


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