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かつた さぶろう

勝田三郎

かつた さぶろう

1900(明治33)〜 1942.8.8(昭和17)

大正・昭和期の海軍軍人(大佐)

埋葬場所: 20区 1種 10側

 東京出身。1923.7.14(T12)海軍兵学校卒業(51期)。同期に実松譲(後に大佐・戦死研究家:4-1-25)、樋端久利雄(後に大佐:12-1-33)らがいる。
 '24.12.1 少尉、'26.12.1 中尉、'29.11.30(S4)大尉と進級し、佐世保航空隊分隊長に就任。その後、名取乗員、鳥海乗員、陸奥乗員を兼務。'35.11.15 少佐となり航空廠飛行実験部員を経て、'38.6.1 神威飛行長に着任。呉航空隊飛行長 兼 広工廠航空機部検査官 兼 比叡飛行長を務めた。'39.11.1 佐世保航空隊飛行長に補され、衣笠飛行長に兼務。
 '40.11.15 中佐に進み、横浜航空隊副長 兼 飛行長に就き、第25航空戦隊司令部付も兼ねる。'41.12.8 太平洋戦争勃発。'42.8.8未明、ソロモン群島カブツ島において全軍陣頭の指揮を執る。米軍の反攻上陸を受け、二昼夜にわたる死闘の末、勝田は1台の戦車に馬乗りになり、拳銃を中に撃ち込んだが反撃され玉砕。享年42歳。没後、1階級特進し大佐となった。正5位 功3級金鵄勲章。勲3等旭日中綬章、勲4等瑞宝章。

<日本海軍士官総覧>
<『最後の飛行艇』日辻常雄>


*墓石は和型「勝田家之墓」、裏面「昭和四十九年八月」に家族全員で建之と家族全員の名前が刻む(妻 輝子、長男 威、次男 進、長女 畑尾房江、次女 水上静江)。右面に勝田三郎の略歴が刻む。戒名は制空院釋必成居士。同墓所には妻は輝子(H23.3.3・101才)、二男は進(H25.4.22・72才)も眠る。


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