福島県出身。高野源八の長男。1922(T11)文官高等試験に合格。'23東京帝国大学法学部独法科を卒業し、内務省に入省。
警視庁文書課長、神田駒込各警察署長、本庁警務課長、滋賀県・茨城県各警察部長、警視庁刑事部長、愛知県経済、大阪警察庁警務各部長を歴任。
1941(S16)第37代山梨県知事に任ぜられた。山梨県知事の在任は1941.1.7-1942.7.7までの1年半。その後、陸軍司政長官ビルマ派遣防空総本部業務局長、大阪次長を務めた。
1945(S20)第42代広島県知事に就任。在任は1945.6.10-10.11。広島に原子爆弾が投下された時の県知事である。
8月6日の被爆当日は、福山地方に出張中で原爆による難をのがれた。
広島全滅の知らせを受けて急遽広島に戻ろうとしたが、動きがとれず、なんとか列車、車を乗り継いで現地入りしたのは午後6時半であった。
すぐに比治山多聞院に「広島県防空本部(県庁)」を開庁。救護活動の調整や食糧放出などの対策が進められた。
同年10月11日東京に戻され、第55代警視総監に就任した。後任の広島県知事は児玉源太郎(8-1-17-1)の7男の児玉九一である。
警視総監の在任は1945.10.11-1946.1.15。後任の警視総監は藤沼庄平(20-1-13)である。公職引退後は、弁護士となる。また、凸版印刷(株)監査役も務めた。享年73歳。従5位 勲6等。