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たどころ ひろみ

田所廣海

たどころ ひろみ

1869.7.24(明治2)〜 1924.1.19(大正13)

明治・大正期の海軍軍人(中将)

埋葬場所: 2区 1種 2側 1番

 高知県出身。田所二三太安廣・千鶴(共に同墓)の長男。1890.7.17(M23)海軍兵学校卒業(海兵17期)。同期に日露戦争で活躍する秋山真之(中将)、川原袈裟太郎(中将:8-1-15)、堀内三郎(中将:13-1-22)らがいる。
 海軍少尉候補生として金剛乗組。翌年は浪速乗組。1892海軍少尉となり、龍驤分隊士。翌年、高千穂航海士、吉野分隊士を経て、回航委員として英国出張。 1894帰着。1896海軍大尉となり筑波分隊長(航海長)。1898常備艦隊参謀、翌年軍務局軍事課課長。
 1900〜'02海軍大学将校科甲種3期卒業。'03〜'04独国駐在。日露戦争勃発に伴い帰朝し、春日航海長となる。'05海軍中佐となり、横鎮附、横工廠艤装委員、笠置副長。 '07軍令部参謀(三班長)、海大教官。'08海軍大佐となり、舞工廠検査官。'10厳島艦長、姉川艦長、津軽艦長。'11出雲艦長、肥前艦長。'12(T1)敷島艦長。'14台湾総督府海軍参謀長。
 '14海軍少将となり佐鎮参謀長、'16第一水戦司令官、'17第三水戦司令官、'18将官会議議員となる。'18海軍中将となり、鎮海要港部司令官、臨時建築部支部長。'19再び将官会議議員となり、翌年から侍命。'21予備役。功四級。'20.11.1勲1等旭日大綬章受章。享年54歳。正4位。
 妻はマス。長男の田所廣泰(同墓)は東條内閣打倒の思想活動を展開した思想運動家である。

<日本海軍将官総覧>
<帝国海軍提督総覧など>


墓所

*墓所には二基。左側和型で「海軍中将 正四位 勲一等 功四級 田所廣海之墓」と刻む墓石が建つ。裏面は「大正十三年一月十九日死去」と刻む。右側にやや小さな和型で「田所家之墓」。裏面に「昭和三十年十一月 田所マス建之」と刻む。マスは田所廣海の妻であり、廣泰の母。さらに右側に墓誌がある。墓誌は享保元年に亡くなった田所仁左衛門克則を筆頭に代々が刻む。


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