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ちょう つぎよし

長 世吉

ちょう つぎよし

1884.2.12(明治17)〜 1963.10.8(昭和38)

大正・昭和期の貴族院議員

埋葬場所: 12区 1種 17側 22番

 大分県日田市出身。祖父は儒家の長梅外(同墓)。父は漢学者・書家の長三洲、母は蝶子(共に同墓)、二男として生まれる。兄は歴史学者の長寿吉(同墓)。姉の齡は男爵の大森佳一の継母。叔父は画家の長古雪(同墓)。
 1914(T3)京都帝国大学法科大学政治科卒業。卒業後、京都府属となり、久世郡長を経て、貴族院書記官となる。内務参事官、法制局参事官、臨時議院建築局事務官、同書記官、大蔵省営繕管財局書記官を兼ねた。貴族院庶務課長を経て、1931(S6)貴族院書記官長に就任し、営繕管財局参与も兼ねた。
 退官後、'38.4.2 貴族院議員に勅選され、'47.5.2 貴族院廃止まで在任した。

<大衆人事録>
<人事興信録>


*土円墳墓に墓標「長氏塋墓」。右側に墓誌が建つ。「梅外允」と長梅外から刻みが始まる。梅外の妻の竹香(M19.8.28没)、長古雪の「古雪冰」と続き、長三洲は「三洲莢」と刻む。長三洲の妻は蝶子(嘉永3.8-S8.5.29:福岡県出身・八尋篤兵衞の長女)。長三洲の長男の長寿吉は「壽吉」と刻む。長寿吉の妻は初枝(M20.3-S31.10.18:旧姓は末弘、末弘巌石の娘、法学者の末弘巌太郎は弟)。長三洲の二男は長世吉。長世吉の妻は文子(M28.7-S38.10.8:東京出身・榊原浩逸の二女)。平成に入り新しく墓誌がもうひとつ建ち、長壽吉の長女の環(M40.12-H6.2.20)らが刻む。

*長梅外、長三洲、長古雪ら明治期に亡くなった人物たちは青山霊園に埋葬され、その後、多磨霊園に改葬された。


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