東京出身。宿谷文次郎、むつ(共に同墓)の長男として生まれる。
宿谷製作所を創業し、農機具製造業を営む。日本の農機具業界の発展に尽くした。東京府農機具工業組合理事、日本農機具工業統制組合理事、同専務理事、農機具統制株式会社評議員、日本農機具工業会副理事長、日本農機具工業協同組合専務理事、噴霧機製造社長などを歴任した。
1947.4.20(S22)第1回参議院議員通常選挙(全国区)に無所属で立候補し当選(50位以内が任期6年であり、100位以内が任期3年のところ、62位当選)。緑風会に属す。同じ緑風会にメンバーに楠見義男(12-1-17)、村上義一(22-1-22)、宮城タマヨ(22-1-68-1)らがいた。'49.2.23〜6.1 第3次吉田茂内閣で労働省政務次官を歴任。'50.6.4 第2回参議院議員通常選挙では落選した。
政財界の名士であった村田省蔵が取り組んだ日中民間貿易の促進に積極的に協力。 日本国際貿易促進協会の理事長・副会長・顧問、中国経済貿易展覧会協力会理事長などの要職につき、日中両国の国交正常化を目指し経済交流や友好往来を進める。商品展覧会の相互開催の発案者で指揮者として、'58広州で行われた日本商品展覧会などの団長を務めた。晩年はパンダ愛護会を組織して両国の親善往来を推進した。享年84歳。