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みやぎ たまよ

宮城タマヨ

みやぎ たまよ

1892(明治25)〜 1960(昭和35)

戦後女性初の参院議員、大正・昭和期の社会事業家

埋葬場所: 22区 1種 68側 1番

 旧姓植田。1909(M42)奈良女子高等師範学校博物家事部卒業。20(T9)〜23まで大原社会問題研究所で児童保護問題を研究。 22の少年法制定(翌年施行)に伴い23〜24まで文部・司法両省からアメリカに派遣され、社会教育、少年保護事業などを研究、矯正保護や犯罪予防の世界会議に出席した。帰国後、東京少年審判所の日本最初の婦人保護司となる。 26退職、翌年大審院検事で少年法生みの親である宮城長五郎(のち法務大臣)と結婚したが、42(S17)死別した。47参議院議員(全国区)に戦後女性初の当選、緑風会に所属し二期つとめた。 任期中婦人・青少年問題の解決に尽力したほか、56売春防止法成立の有力な推進者の一人だった。 また52の破壊活動防止法案の審議で「扇動条項」の削除を強く主張。57訪英中ウェストミンスター寺院のチャイムベルに示唆を得、全国六四ヵ所の少年院と婦人補導所に「母の鐘」を寄贈することを決意、私財を投じて59になし遂げた。 主な著書に「台所の心」「私の歩み――続台所の心」などがある。

<日本女性人名辞典>


墓誌


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