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さわむら そうじゅうろう

澤村宗十郎(7代目)

さわむら そうじゅうろう

1875(明治8)〜 1949.3.2(昭和24)

昭和期の歌舞伎俳優、7代目

埋葬場所: 15区 1種 13側

 東京出身。屋号は紀伊国屋。本名沢村福蔵。俳名は高賀。一説には東本願寺法主の隠し子とも言われている。4代目 助高屋高助(同墓)の養子。
 1881(M14)4代目 沢村源平として初舞台、1892(M25)3代目 沢村訥升、1908(M41)7代目 沢村宗十郎を襲名。1911以降は帝国劇場の専属となり、江戸和事を長じ、女形・舞踊劇をもよくした。 当り役は家芸たる梅の由兵衛、苅萱のほか蘭蝶、お舟、「野崎」のお光、「実録先代萩」の浅岡、舞踊劇の保名、「関の扉」の宗貞など。 最後の和事師と呼ばれ、自ら得意芸を集めて「高賀十種」を選定。 当初は古風な芸で、独自の台詞回しとともに観客の間では賛否があり、近代歌舞伎の流れから外れ不遇されていたが、戦後、その古風な芸は高い評価を受けた。姫路の巡業先で「仮名手本忠臣蔵」の勘平を演じている最中に倒れた。享年75歳。

<コンサイス日本人名事典など>


系図

*7代目澤村宗十郎は本来は6代目であるのだが、自らが7代目を号したとされる。

*澤村家代々の元来の墓所は練馬区の受用院であり、澤村宗十郎初代〜5代目、助高屋高助2〜4代目、澤村田之助2〜3代目、澤村由次郎2代目が眠る。 4代目助高屋高助の墓は多磨霊園にも存在する。

*墓所内には右から「澤村家先祖代々各霊菩提」の五輪塔、4代目助高屋高助夫妻墓、7代目澤村宗十郎夫妻墓、5代目助高屋高助夫妻墓が建つ。 各墓石の台座に「澤村家」と刻み、墓石正面には戒名、右面に俗名と没年月日が刻む。 なお、7代目澤村宗十郎の三男である8代目澤村宗十郎、8代目の子の9代目澤村宗十郎の墓所は14区1種9側。


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