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Ainan Muhammad Safa

アイナン・サファ

Ainan Muhammad Safa

1898.12.23(明治31)〜 1984.6.9(昭和59)

昭和期の行商、イマーム(導師)

埋葬場所: 外人墓地区 1種 5の2

 ウラル山脈の西にある都市ペルミ出身。カザン・タタール人。家は宗教家であったが、ロシア革命の際に反革命軍に投じて満州に落ちのびた。'26(T15)来日し、日本に在住。 住まいは上野御徒町の長屋。タタール難民の多くは渋谷を拠点としていたが、サファは下町を愛したという。また浪花節が好きで、『浪花節のうなり声はコーランの朗唱と一緒だ』と言っていたという逸話がある。
 仕事は洋服地の行商を始める。行商先は埼玉、千葉、茨城の三つの県境が接する農村地帯。東武鉄道日光線で埼玉県の幸手まで行き、駅前に預けていた自転車の大きな荷台に風呂敷包みを二つのせて、ペダルをこいで集落を回った。 '37(S12)頃から自宅の洋服の仕立ても始めた。なじみの商人宿も有り行商は欠かさなかった。戦後も行商を続け、商品は上野アメ横で仕入れた進駐軍払い下げのシャツやズボン、チョコレート、干しぶどうに変わったが、還暦を迎えるまで現役で活動した。
 行商人の顔を持つ一方で、クルバンガリーが在京タタール人のイマームとして活躍していたとき、彼の下で「ムアジン」という補佐役を務め毎週金曜日の礼拝前にモスクの尖塔に登り、「アッラーホ、アクバル(アッラーは偉大なり)」と大声で叫んで祈りへ誘う役目を務めた。 その後もアブデュルレシト・イブラヒム(外人墓地区)のサポートや、テミムダル・モヒト(外-1-別後)ら若い世代への後進の指導を行った。また、サーディグ今泉(外-1-別中)が発足した日本ムスリム協会との連携など尽力。 '69〜'79東京回教寺院(現在の東京ジャーミイ)の第5代目イマーム(導師)となる。サファの口癖は「日本人は、他人の国からきた外国人を住まわせてくれて良くしてくれた。おかげさまでなあ」。享年85歳。 なお、子にタレントして活躍したロイ・ジェームス(外-1-別中)がいる。

<モスクを建てた亡命タタール人 産経新聞2002年連載>


*産経新聞では「ガイナン・サファ」と紹介されていたが、ここでは墓石より「アイナン・サファ」として紹介をする。


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