東京市下谷区竹町出身。父は東京回教寺院(東京ジャーミイ)のイマームを務めたアイナン・サファ(外-1-5の2)。父はロシア革命により日本に'26(T15)亡命したペルミ出身のカザン・タタール人。旧姓(名)はハンナン・サファ。1971(S46)日本国籍を取得して、六条祐道を戸籍名とした。'75湯浅あつ子と結婚し湯浅姓となったため、本名は湯浅祐道。
竹町小、郁文館工業学校を経て、'54明治大学商学部商業学科卒業。在学中の1953(S28)友人の司会者E・H・エリックの代役で、日劇ミュージック・ホールに出演し芸能界入り。日本における外人タレントの草分け的存在として活動。
'55成瀬巳喜男監督の『浮雲』に米兵役で出演したのを皮切りに、映画出演作に『大番』『奥様三羽烏』『日本ロマンス旅行』『人も歩けば』『歌え若人達』『ど根性物語・銭の踊り』『夢のハワイで盆踊り』で演じ、テレビでは「花王ワンダフルクイズ」「いじわるクイズ時価1万円」「独占スポーツ情報」「霊感ヤマカン第六感」「スター漫才選手権」「赤白パネルマッチ」「インスピレーションクイズ」「サウンド・イン〝S”」などの司会をつとめた。CMやラジオ、ディスクジョッキーをべらんめえ調の達者な日本語で軽妙にこなした。
'82(S57)4月まで20年以上続けたラジオの「意地悪ジョッキー」を体調不良を理由に降板し、芸能活動を休業して病気療養に専念したが、咽頭がん及び肺炎を併発し逝去。享年53歳。