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のざき りゅうしち

野崎龍七

のざき りゅうしち

1889(明治22)〜 1951.6.30(昭和26)

大正・昭和期のジャーナリスト、
出版人(ダイヤモンド社)

埋葬場所: 3区 1種 4側

 東洋経済新報社から横山鉱業を経て、ダイヤモンド社に入り主筆となる。1942〜1948(S17〜S23)3代目社長を務めた。
 この間、'37(S12)次期首相として待望論のあった近衛文麿の政策立案機関として昭和研究会が開設され、常任委員17名に、賀屋興宣(9-1-1-8)、高橋亀吉(5-1-13)らと共に名を連ねた。後に尾崎秀実(10-1-13-59)らも加わる。'41.11.16ゾルゲ事件の余波で解散。
 戦時中は生活雑誌の『時局月報』と『国防国民』に論説・記事を寄稿して、戦時下の日本の統制経済と社会の諸局面に対して洞察力溢れる分析を行った。


墓所

*墓石は洋型縦字で「野﨑龍七墓」、墓所左右に墓誌がある。左側の墓石に名が刻む。戒名は普照院釋恵龍。妻はき江。子の野﨑伸六(1919〜1990.3.31 同墓)は経済学者。

*「野崎竜七」とするものもある。


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