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のべた しげおき

野邊田重興

のべた しげおき

1883.2.19(明治16)〜 1952.7.28(昭和27)

明治・大正・昭和期の海軍軍人(中将)、
海軍潜水艦の重鎮

埋葬場所: 10区 1種 3側

 東京出身。野辺田と表記することもある。
 1901.12(M34) 海軍兵学校(32期)に入校し、'04.11.14 繰り上げ卒業して少尉候補生として韓崎丸乗組となり日露戦争に従軍。同期に山本五十六(後に元帥:7-特-1-2)、吉田善吾(後に大将:16-1-5)、塩沢幸一(後に大将)、嶋田繁太郎(後に大将)、堀悌吉(後に中将)、水城圭次(後に大佐:美保ガ関事件:6-1-1-13)、井上繁則(後の大佐:13-1-27)らがいた。
 '05.1.3 明石乗組、同.8.31 少尉になり、同.11.21 橋立乗組。'07.8.5 砲術校普通科学生となり、同.9.28 中尉、同.12.16 水雷校普通科学生。'08.4.20 第1艦隊付、'09.4.17 丹後乗組、同.5.7 第1潜水艇隊付、'10.3.19 大尉になり高千穂分隊長を経て、同.12.1 第一潜水艇隊発足後、水雷長及び分隊長に就任し、日本の初期潜水艦に深く関わっていくことになる。
 '11.5.23 津軽分隊長、'12.3.1 横須賀海兵団分隊長、同.8.13 第1潜水艇隊艇長、'13.12.1 第2潜水艇隊艇長、'15.4.1 第3潜水艇隊艇長、同.12.13 海軍大学校に入校。'16.4.1 少佐になり、'17.11.29海軍大学校卒業(15期)。同期に古賀峯一(後の大将:7-特-1-3)らがいる。同.12.1 第4潜水艇隊艇長となり、第1から第4すべての潜水艇隊艇長を歴任した。'18.4.1 兼 韓崎副長、同.12.13 関東乗員、'19.12.1 軍務局第1課員を経て、'20.1.20 技術本部技術会議員となる。同.10.1 艦政本部員、同.12.1 中佐に進み、'21.12.10 造船造兵監督官となり、'22.12.24 欧米各国出張。'23.5.1 艦政本部員を挟み、'24.12.1 大佐となり艦政本部員、'25.10.20 第24潜水隊司令、'26.12.1 海軍大学校教官 兼 出仕。'27.11.15(S2)潜水学校教頭を経て、'28.12.10 海軍潜水学校長に就任した。
 '30.12.1 少将に進級し、第2潜水戦隊司令官となり、'32.11.15 艦政本部第5部長、'33.4.1 艦政本部第6部長、'34.11.15 中将に累進し、艦政本部出仕、同.12.10 待命、同.12.15 予備役編入。正4位 勲2等。享年69歳。

<帝国海軍提督総覧>
<日本海軍将官総覧など>


墓所

*墓石は和型「野邊田家之墓」、裏面「昭和十三年三月 青山墓地ヨリ改葬」と刻む。右に墓誌が二基並ぶ。墓石に近い側の墓誌は、祖父の野邊田剛四郎(M4.7.15歿)から刻みが始まる。父は「海軍少佐 従六位 勲六等」と刻む野邊田種興(M19.4.5歿・行年37)。野邊田重興は「海軍中将 正四位 勲二等」「行年七十歳」と刻む。妻は志津。


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