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なべしま なおてる

鍋島直暠

なべしま なおてる

1832.11.18(天保3.10.26)〜 1883.10.1(明治16)

幕末・明治期の肥前佐賀藩国老

埋葬場所: 12区 1種 10側 34番

 藩主一門の白石鍋島家鍋島直喬の子。通称は四郎、河内。号は西湖。
 弘道館館長。義祭同盟のメンバーで尊王主義。明治維新に際して勤王政策をすすめた。1874(M7)佐賀の乱、1877(M10)西南戦争の事後処理に尽力した。 白石焼の先覚者でもる。享年50歳。白石神社(佐賀県みやき町)に祀られた。1897家督を継いだ鍋島直明が男爵に叙爵された。

<講談社日本人名大辞典>
<日本の名門1000家>


*墓石「鍋島家之墓」。左側に墓誌がある。墓誌の最初に「元肥前国白石領主鍋島直暠公遺髪 昭和十二年二月十四日」と刻む。この地には遺髪が納められていることがわかる。 直暠後に家督を継いだ鍋島直明には「正三位 勲二等 功四級 男爵」と刻む。妻は絹子。直明の後を継いだ鍋島直高は昭和31年に没していることから華族令が廃止されたこともあり「従四位 元男爵」と刻む。 直高の妻の敬子は公爵の宮内顧問官である二条基弘の娘であり、平成9年に没し96歳の大往生。直高の後に家督を継いだ鍋島直康(なおよし)は学習院大学教授を務め、墓誌には「正五位 勲三等瑞宝章」と刻む。 直康の妻の竹子の父は西郷従徳(10-1-1-1)である。よって、直康にとって西郷従吾(10-1-1-1)は義兄、黒木家に養子に出た黒木従達(8-1-2-15)は義弟。 その後は、鍋島直久が継いだ。直久の妻は静子。なお、同墓には直康の長女でチェンバロ奏者である鍋島元子も眠る。


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