愛知県名古屋市出身。旧姓は清水。きみ子ともいう。質屋と衣裳を商う商家の生まれた。
名古屋で最初のミッションスクール清流女学校在学中、17歳で村松愛蔵(同墓)と結婚。夫は東京での仕事が多く、愛知在住のきみとは遠距離であったため、夫の女性関係に躓づくことなどあった。
'09.5.11 夫は政治家として活動していたが、日本製糖汚職事件(日糖事件)に連座し、政界を引退し逮捕される。服役中の夫に聖書を差し入れする。これを機に夫の村松愛蔵はキリスト教に回心する。
同.12 出獄後、直ちに夫と共に救世軍の山室軍平(15-1-11-1)を訪ね、'10.1.3 夫は決心して救世軍に入る。翌年、きみも上京し、夫と共に救世軍士官学校に入校した。夫と共に社会事業やキリスト教の伝道に携わっていくことになる。
山室軍平の前妻である山室機恵子(15-1-11-1)が亡くなった後、機恵子に代わり婦人ホーム主任として15年もの長きに渡り働く。この施設では身寄りがない婦人や困苦で悲惨な目に遭っている女性たち、親に身売りされ強制的に働かされていた娼婦救済運動に尽力していた伊藤富士雄(同墓)が救済した娼婦たちを保護し面倒をみた。その数、2,592人を婦人ホームで収容したという記録が残っている。