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もり あきら

森 明

もり あきら

1888.5.12(明治22)〜 1925.3.6(大正14)

大正期のキリスト教学者、牧師

埋葬場所: 3区 1種 9側

 東京出身。母方祖父は岩倉具視。父は初代文部大臣・子爵の森有礼、岩倉具視の5女の寛子の3男として生れる。兄(長男)は貴族院子爵議員の森清。誕生した翌年に父の森有礼は刺殺される。
 学習院初等科に入学したが、持病の喘息のために退学して以後独学。1903(M36)15歳のとき宣教師のF.ミュラー夫妻の導きによってキリスト教に入信を決意し、翌年、母の寛子と共に富士見町教会の牧師の植村正久(1-1-1-8)から受洗。'07-'16 東京神学社にて聴講生として学ぶ。
 伯爵の徳川篤守の3女の保子(同墓)と結婚。'13(T2)長男の有正、'15 長女の綾子が誕生。
 '15(T4)中渋谷日本基督伝道教会を設立し伝道を開始。'17 按手礼を受け牧師になり、中渋谷日本基督伝道教会が正式に教会になる。学生伝道に志を抱き、'19 帝国大学学生基督教共助会を発会し、東京帝国大学、京都帝国大学、旧制高等学校などの学生を対象として積極的な伝道を展開。大正期の民本主義(民主主義)の流れの中で、個人の自覚と人格の改造の戦いを強く叫び、十字架のイエス・キリストに頼る贖罪愛の信仰に徹しようとしたところにその特色があった。
 '20 植村正久と台湾伝道。'24 東京市内外学生連合礼拝を提案したが、病気のために果たすことができなかった。享年36歳。没した3ヵ月後、'25.6.6(T14) 内村鑑三(8-1-16-29)、高倉徳太郎(11-1-16-17)を講演者として第1回の連合礼拝が実現した。戦後『森明著作集』(1954)が刊行された。

<20世紀日本人名事典>
<日本キリスト教歴史大事典>


もり あきら

*墓石前面「森家之墓」、裏面「森明 子爵森有禮三男」と生没年月日が刻む。右側に墓誌が建ち、森明、有正の長女の正子(1944-1945)、明の妻の保子(1888-1959)、明の長男の森有正、有正の次女の聡子(1946-1999)が刻む。なお、明の長女の綾子(1915-2002.10.12)は、政治家の関屋貞三郎の三男で教育者の関屋光彦に嫁ぎ、関屋綾子として東京YWCA・日本YWCA会長、世界平和アピール七人委員会委員として平和運動活動を行った。

*父の森有礼の墓所は青山霊園(1イ1-12)。


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