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みやなが まさもり

宮良當壯

みやなが まさもり
(みやら とうそう)

1893.12.1(明治26)〜 1964.3.1(昭和39)

大正・昭和期の国語学者、方言研究家

埋葬場所: 17区 1種 15側

 沖縄県石垣出身。松茂氏十一世。幼い頃から吃音を患い、帝国吃語矯正会で矯正訓練を受けながら音声学を学ぶ。
 上京し、苦学を重ねているころ柳田国男や金田一京介ほか多くの学者と知り合い、1922(T11)に発足した南島談話会では主宰の柳田国男、金田一京助、新村出、服部四郎という泰斗をはじめ、松本信広(7-1-4)、昇 曙夢(11-1-7)、比嘉春潮(26-1-17)らと名を連ねた。 1925(T14)國學院大學を卒業すると、宮内省図書寮に勤務し、前年からの帝国学士院の研究費補助もあり〔柳田国男、新村出、市河三喜(3-1-25)などの推薦による〕、全国の方言を調査研究した。 のち1943(S18)に図書寮を退くと日本方言研究所を設立した。月刊『琉球文学』を編集・発行し、後進の指導をした。
 主な著作は『八重山語彙』『探訪南島語彙稿』『沖縄の人形芝居』『八重山古謡』などがあり、ほか第一書房より現在刊行中の『宮良當壯全集』(全22巻)には、生前中は上梓されなかった「日本方言彙編」を含む。

<仲村顕様より情報提供>
<森光俊様より情報提供>


*名前の本来の読みは「みやら・とうそう」だが、自ら「みやなが・まさもり」と読み慣わした。子孫も「みやなが」を名乗るも、地元沖縄では「みやら・とうそう」が親しまれている呼称である。 また名前の漢字は昨今の人名事典などには『宮良当壮』とあるが、ここでは正式な漢字表記をした。

*墓石正面は「宮良家之墓」。右面に「文静院當壮日徹居士 昭和39年3月1日歿 行年70才」と刻む。


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