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ひが しゅんちょう

比嘉春潮

ひが しゅんちょう

1883.1.7(明治16)〜 1977.11.1(昭和52)

昭和期の歴史学者

埋葬場所: 26区 1種 17側

 駱氏十三世。父・春良は首里山川の士族であったが、西原間切翁長村の掟加勢に任ぜられ、春潮はそこで次男として生まれた。本名は春朝、また自らを蠹魚トギョ(=紙魚シミ)と称した。
 沖縄師範を出て教員となり、小学校校長、新聞記者などを務めたのち、1923(T12)改造社に入社。44(S19)小山書店に転じ、戦後退職。 その間、柳田国男に師事し、22(T11)に発足した南島談話会では主宰の柳田国男、新村出、金田一京助、服部四郎という泰斗をはじめ、松本信広(7-1-4)、昇 曙夢(11-1-7)、宮良当壮(17-1-5)らと名を連ねた。 戦後は顧問に徳田球一(19-1-31-2)を擁し、三代会長には神山政良(11-1-10)が就いた沖縄人連盟の発起人にもなり、沖縄の復帰運動にも尽力した。 著書に「沖縄の歴史」「沖縄の歳月」「沖縄の犯科帳」「蠹魚庵漫章」などがある。また「比嘉春潮全集」全5巻1971〜73もある。
 1983年に春潮夫人の比嘉栄子によって、蔵書や書簡、資料ノート等5,900冊余が沖縄県立図書館に寄贈され、、現在比嘉春潮文庫として収蔵されている。 その名は文庫名のみではなく、沖縄学研究者に与えられる沖縄文化協会賞の、比嘉春潮賞(歴史、考古、民俗、民族の研究分野が受賞の対象)という名称としても残っている。

<コンサイス日本人名事典>
<仲村顕様より情報提供>


*墓石には〔比嘉・永島家〕と刻む。墓誌があり、比嘉春朝(本名)を見ることができる。なお、墓誌に刻まれている比嘉栄(栄子)〔H3没.89歳〕は、比嘉春朝の再婚相手。 奥平カナ〔S19没.55歳〕は比嘉春朝の最初の妻。永島可昌(S18没)は比嘉春朝の友人で、栄子の最初の結婚相手。比嘉春朝は妻を失い、永島栄子は夫をなくしており、その二人が再婚をしたという経緯。 比嘉春朝には実子はなく、永島可昌と栄子のあいだにできた永島伸一郎という人物がこの墓所を管理している。墓石裏面にある墓所建立者名は、比嘉春朝と永島伸一郎。

<仲村顕様より情報提供>


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